高槻城(高槻CC)訪問記

2004.8


 高槻城は高山右近の城として有名ですが、明治以降に破壊され市街地に呑み込まれてしまい、目立った遺構は残っていません。
 ところが、その高槻城址から北に約10km、京都府との県境にも近い高槻市の最北部にある高槻カントリークラブに高槻城が有るとの情報が宝塚のフラノさんから寄せられました。

 なぜ、そんな所に?と疑問に思いつつ、訪問してみました。

 高槻CCへの入り口は県道から橋を渡り、緩い坂道を上って駐車場に至るのですが、その坂道の右側(上の画像だと下り方向なので左側)に50mほどの石垣や建物が有るゾーンが有りまして、これがどうやら高槻城のようです。「高槻城」と彫られた石が中央に設置されてましたので。
 上の画像で奥から三層の天守風建物(木に隠れて見づらいですが)、その手前側に石垣と土塀で囲まれた区画(多分これが本丸なのでしょう)、その手前に控え目な城門があり、その手前に倉庫風の建物が有ります。

 倉庫風の建物の手前には「高山右近当時の高槻城下・資料館・茶室」と書かれた立て札が有るので、この建物が資料館なのかも知れません。門とか開いてなかったので良く判りませんが。

 本丸の奥というか、県道から見ると手前側に聳える三層の天守、ですが非常に細身で中に何か有りそうな雰囲気では有りません。階段が有ったらそれでスペースが尽きてしまいそうです。
 因みに、高槻城には三層の天守が有ったらしいので、これはそれを復元したのでしょうか。

 そして天守の手前、要するに高槻CCへの入り口に高山右近の像が建っています。
 この高山右近、妙に恰幅が良いというか、世間一般の高山右近像とは隔たりが有るというか・・・
 これは、あくまで個人的な想像ですが高山右近以外の誰かモデルが居るのでは・・・

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