飯盛城

2002.11


 このサイトを始めた頃に、ネット上の模擬天守の情報をGoogleで検索した中に、とあるスケッチの解説文がヒットしました。
 その内容は、「那賀町と粉河町の境にある飯森山の山頂には南北朝時代に山城があった、その跡近くに現在、天守閣風建築物が見受けられる(ほぼ引用)」というものでした。
 それ以外の情報はどうにも見つからなかったのですが、妙に気になって和歌山に行った際には必ず探索してみようと思ってました。

 和歌山でレンタカーを借りて「潮路城」「湯浅城」を見物した後、国道24号線に入り紀ノ川沿いに東に走ると粉河町に入った辺りで南側の飯森山の稜線上に、あっさりと天守が見えて来ました。


<紀ノ川沿いの、かなりの範囲から見えます>


<拡大>

 発見には多少は難儀するかも、と思っていたので拍子抜けでした(が、後でかなり苦労する事に)。

 そこで、地図を見ると県道が飯森山の東の峠を越えていて、その峠から尾根伝いに道が有るようなので、行ってみる事にしました。
 国道を右に折れ、紀ノ川を渡って直ぐ右折、標識に従って左に・・・あれ、間違ったかな、やけに細い道だぞ・・・
 しかし、道路標示板が出ているので間違いでは無いようです。それでも最初の内は狭くなったり多少広くなったりしてたのですが、本格的に山を登りはじめると、もの凄い道になってきました。
 山道で険しいのは多少は慣れているのですが、集落の中や民家の軒先を掠めたり、畑の真ん中で農道のようだったりと一貫性が無く、とにかく狭く、舗装も少なく、ガードレールも偶にしかなく、しかも大半が凄い急坂という。

 思い出すだけで肩に力が入るような道を20分程登ると峠に到着、そこから進むべき道を見上げて。

・・・えーと、この尾根伝いの道って車登れるの?

 ロードマップに載っているのだから登れるんでしょうが、途中で止まったらその場で立ち往生しそうです。
 レンタカーはトヨタ・ビッツで、細かい道は楽ですがパワーはそんなに期待出来ません。
 今更帰る訳にも行かないので、なるべく勢いを付けて登り始めましたが、案の定アクセルを踏んでも全く加速しません、それどころか徐々に回転が下がって来たような。
 こういう時につい体を前後に揺すってしまうのですが効果が有る訳が有りません。とはいえ、なんとか急傾斜の所は乗り切れたようです。

 そこから尾根伝いに登ったり降りたりしつつ走るとホテル?が有り、さらに進むと分岐にガードマンが、え?ガードマン?
 左側に行くように指示されてますが、尾根は右側なので、
「すんません、お城に行きたいんですけど」
 というと、訝しそうにしつつ、右側に通してくれました。
 しかし、何故こんな山奥にガードマンが、と疑問を感じつつ進むと直ぐにお城が見えてきました。

 周りには数台の車が停まっていて人が多く見えます。なにやら催し物にかち合ってしまった模様です。

 因みにこの日の天候は不安定で、天気がめまぐるしく変わってましたが、山に登り始めてからは曇り時々雨で、雲が厚く垂れこめてどんよりしてます。

 周りからお城の写真を撮りますが、狭い尾根なので、引きが無くて厳しいので、門から中に入って見ようと、
 ふと門の横を見ると催し物のポスターが貼られています。あれ?このポスターって午前中に潮路城のそばの家で見たものと同じだよ。
 潮路城の目の前で見たのでてっきり潮路城関係のポスターだと思ってました。

 中に入ってみると、どうやらこの飯森城は近くにある神路原神社の関連施設のようです。行われていた催しは、まあポスターが貼られるくらいなので、閉鎖的なものでは無さそうですが無関係な人間がうろつくのも憚られます。隅の方から天守の写真だけ撮らせてもらってその場を後にしました。

 しかし、登ってきたルートでは1台しか車とすれ違わなかったのに、尾根には結構車が登ってきているので、峠の逆側の方が道が良いに違いないと、さっきのガードマンの居る分岐を指示に従って南側に下って見ました。
 結論から言うと、多少道は広かったかもしれませんが、登ってくる車とのすれ違いでかなり疲れました。

 なかなか難攻不落の山城で有りました。

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