*天鷺村周辺探訪記*
(後編)
2002.9
*天鷺村*
そうこうしている内に9時を回ったので天鷺村に戻り入場しました。入場料は720円とこの手の施設にしては割高な物で、料金を見て一旦退却してどんな施設が見れるのか看板で確認したりしましたが、せっかくここまで来たのだからと意を決して入ってみました。
因みに、正確な所は「天鷺城」というのは、歴史体験施設である「天鷺村」の一角に建つ天守風建築物を指します。
天鷺村内には、町内から移築された古い民家や町屋などが、建ち並んでいます。
順路に従って進むと、最初に資料館が有ったようなのですが、何故かスルーしてしまいました。
次に、商家を移築したという美術館が有ります。この美術館は地元出身の阿部米蔵氏の作品の大半を集めた、というか寄贈されたのだと思いますが、とにかく大量に展示というか収蔵というか収納されています。
作品は主に彫刻・塑像で秋田杉(多分)を使った大型のオブジェが並んでいる所など材木置場?という感じです。
なお、自分には芸術的な素養は全く無いので、そういう視点は全く期待しないで頂きたいのですが、この美術館を見て面白いなと思ったのは、一人の作家の作品を殆ど集めているので好んで用いるモチーフとその発展というか融合具合が見て取れる事です。
具体的にはこの人は少女と鳥に拘っているようなのですが、最終的?に半人半鳥の少女像というマニアックな境地に辿り着いています。
今の世なら絶対に同人関係かフィギュア関係に・・・
その隣には農家が移築されています。軒下には薪が積んであり、生活感が漂う再現だなぁと感心しました(が、後で少し疑問を感じる事に)。
なお、この家の便所はそのまま現在も使用されています。
その先には盛土した高みに高さ2m程の観音様が立っていて、こういう施設では何故とりあえず観音様を祭るのか不思議ですが、とりあえず拝んでおきました。
そこから敷地を仕切る池を渡り、向かいの建物に入ります。
こちらは下級武士の住居で中ではロウ人形?が生活してました。
その隣は中級武士の住居で、中には「書」が展示されてました。書というのはホントに全く判らないのですが、判らないといえばこの建物は移築される直前まで普通に使われていたとの事なのですが、台所は昭和の中頃に有り勝ちな鉄板作りになってます。それはそれで良いのですがそこに「台所」と表示され、展示の一部となっているのはどういうつもりなんでしょうか?
「江戸時代の住居をこのように改造して近年まで使ってました」
という展示なのでしょうか?
でも、ここの謳い文句は「江戸時代へタイムスリップ」の筈では・・・
すこし疑問を感じつつ隣の鍛冶屋へ。ここは金物屋としてやはり近年まで使われていたようです。台所にはガス湯沸し器が・・・
いくらなんでも違うだろう、と金物屋の店番の小父さんに聞いてみました。
因みに、鍛冶屋の店先もそのままで、竹とんぼなどの細工品を実際に売っています。
店番の小父さんは生きた人間のようですが、どこまでが展示なのかはっきりしません。
「この建物って昔の物ですよね」
「うむ」
「なんで移築した時の状況そのままなんですか?」
「うむ、元々ここには別の建物があったんじゃが、それをどかして・・・」
いや、そういう事が聞きたいのじゃなくて、
「えーと、なんで、ここまで、使っていたそのままの状態で、移築したんですか?」
小父さんは聞こえているのか聞こえてないのか、こっちの質問は意に介さず、突然こんなことを言い出しました。
「お客さん、どこから来たんだい」
「え?埼玉ですけど」
「ん?どこ?」
「さ・い・た・まです」
「え!北海道?」
ぐっ・・・聞き間違えるにも程が有ると思うのだが、
「違います、さ・い・た・まです!」
「え、あぁ埼玉かい」
これは話にならない(文字通り)と暫くかみ合わない会話を交わした後、軽く会釈してその場を離れました。
その次は、「野良着の館」です、ここは移築ではなく新築?のようですが、建物の横には水車が回って・・・今日は回っていないようです。
ここはその名の通り野良着を展示しているのですが、毎度思うのですが、こういった施設でマネキンを流用する際は顔つきやポーズをもう少し吟味した方が良いと思います。
どう見ても農家の小母ちゃんには見えません。
その次はメインイベントの歴史館です。
自動ドアが開き、中に入るとなにやらトランス系の電飾を通ります。ちょっと宗教施設っぽいです。そして歴史の坂道なるスロープを登りつつ伝説の時代から江戸そして現代まで順に見ていきます。
そしてそれが終わると下りです・・・・
登った意味は?
それから真田幸村の姫の話も1コーナーになってました。
ま、無意味な装飾は多いですが展示はそこそこ面白いと思います。
歴史館を出ると射的場らしきものが有って、その次は「百姓ステージ」なるものが有りましたがそこはスルーしました。
最後に中庭から天鷺城に入ります。
なお、天鷺城内には一階にお土産物屋と食堂が有って、外から直接入ってこれますが、その場合二階以上には登れません。二階そして展望台には入場料を払った人しか行けないのです。少しセコいなと思いましたが・・・
なお、この天守は三層四階で一階は石垣部分になります。内部はいかにも木造風の造りになってますが、実際には鉄骨造です、柱を叩くと軽い音がします。
ま、実用上木造にするメリットは無いのですけどね。
二階三階には何か展示が有ったと思いますが有り勝ちな物で忘れてしまいました。四階展望台から、天鷺村を見下ろすと、
萱葺の曲家の向こう側に
こんな建物群が・・
天鷺村内より、その隣の住宅地に有る城郭造り?のお宅の群れが気になります。補助金かなんか出たのでしょうか?
それから、山の方を望むと、
稜線左から謎の楼閣、天鷺ワイン城、山麓左から亀田城、亀田小学校
麓に亀田城と亀田小学校(の体育館も結構あやしいデザインです)が有り。山の峰にはワイン城とあと、あの楼閣風の建物はなんだろう?
後で行って見る事にしました。
一階に下り、お土産屋さんで稲庭うどんを買って天鷺村を後にしました。
*城址遊園*
車に戻り、天鷺城の詰の丸とも思われるワイン城を目指して案内板に従って山道を登っていきます。5分程登るとワイン城の立派な建物が見えてきましたが、さっき見えた楼閣が気になるので、道なりにそっちに向かってみました。
少し行くと、道端に駐車スペースがあって、道には移動式のフェンスで「車両侵入禁止」と書かれています。
そこに車を止めて、歩いて行きます。
少し下ると、幾つか建物が有って、その先の削平地にさっき見た建物が有りました。
高城動植物資料館
この建物は「高城動植物資料館」という施設のようで、鉄筋三階建てで、フォルム的には天守風にしてもおかしくないのに、何故か意図的に天守風にしていないように感じます。
この辺りは「城址遊園」という名称から古い山城址と思われますが、だったら何故天守風にしないのでしょう?
亀田城の二重櫓でも感じましたが、史実に無い模擬天守を(城跡には)建てないというポリシーなんでしょうか?
これだけ変てこな施設を造っておいて、そりゃ無いと思うのですが。
−以上はあくまで自分的な観測ですので、実際は違うと思います−
ところで、この建物、一階から二階への階段が外に出てます。二階から三階の階段は中に有るのに変な構造ですね。
*天鷺ワイン城*
車に戻り、今度はワイン城に行って見ました。
こういう人里離れた施設の場合、駐車場の隅の方に停まっている車は大抵従業員の物なのですが、駐車場には隅に2台の車だけしか有りません。
なんとなく、貸切か?と思いつつ建物の前に立ちました。
これは見事なまでの和洋折衷様式の建物です。よく知らない用語を使って恥をかくのもなんなのですが、帝冠様式ってこういうのを指すのでしょうか?
「帝冠様式ネットワーク」へのリンク
中に入るとワインの匂いが漂ってきます、ガラス張りで工場を眺めつつエレベータで三階まで登ると売店が有りました。
やはり客は自分一人しか居ない模様です。一応、祝日の午前11時頃だったのですが。
因みに、ここで造っているのは「プラムワイン」だそうで、普通のワインは葡萄から造る事くらいしか知りませんが。
自分の所は一家揃って酒は殆ど飲まないし、中でもワインは全然飲まないので、一番甘口(というかフルーティ)な物を選んで「ワインゼリー」と共に買って帰りました。
*あとがき*
こうして全ての施設を見終わって(多少見ていない物も有りますが)みると。
天鷺村周辺の施設は、公的な物としては国内最大級の歴史系展示施設と思われます。
自分は少しひねた見方をしてますが、まともに見ても興味深いものだと思います(本気で)。