野村キャッスルランド深山訪問記
2008年4月
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 今回の四国旅行は前回の四国一周からまだそんなに時間が経過していないのですが、といってももう3年経ってますが、その間に仕入れた情報の中で、一番気になっていて早く来たかったのがこの「野村キャッスルランド深山」でした。
 既に閉鎖されてしまったのでそんなに急ぐ必要も無さそうですが、逆に閉鎖された事によって、山の奥地に有るらしいので、時間が経つと朽ち果てて近づけなくなったり、最悪の場合道が通行止めになったりするのでは、などと想像してるとだんだん不安になってきたので。

 とはいえ、今回の旅行でも相変わらず行程が押していて「野村キャッスルランド深山」にも前日の夕方頃に行けたら良いなと思っていたのに、宿を取った宇和島に着いたのは午後8時過ぎ。そして、この日の行程もきつきつなので野村に行ったら明らかにはみ出してしまいます。
 で、しばし考えて、どうせ野村キャッスルランド深山には誰も居ない所に勝手に行くのだから、時間は何時でも構わないだろうし(そもそも夕方に行く予定だったのもそういう理由)、日が出てて撮影できればOKという事で、宿の朝食の前に行ってくる事に。山の中の道をかなり走る事になるので、用心の為にかなり余裕を見たら午前4時に出掛ける事になってしまいました。

 まだ真っ暗なホテルの駐車場を出て市街地から国道に。流石に、この時間だと道がえらく空いていて快調に距離を伸ばしていきます。国道から県道に入っても予想以上に良い道で、深山ダムの周辺に着いてもまだ夜が明けきっておらず、薄明かりの中です。
 そこからナビを頼りに林道を上っていくと、まあ予想はしていたのですが本当に山の中で、この先に何か施設が有るなんて想像も出来ないな、と思っていたらかなり奥の方に棚田と数軒の民家が有ったりしましたが、そこからさらに数キロ上ると突然視界が開け、そこには深山の大城郭が現れました。
 いや、本当に想像以上に大規模な施設なのですが、駐車場に車を停めて辺りを見回すと、確かにちょっとは寂れてますが、それなりに人の手は入っているようで、想像していたのよりは全然キレイな状態です。

 ロケーションは北に向いた開けた緩斜面で、ここまでの薄暗い林道から一気に明るくなります。とはいえやっと夜が明けきった午前6時前なので、直接日が差すにはまだ時間が掛かりそうです。
 非常に大規模で、いろいろな施設が有るので、航空写真と現地で撮った写真から配置図を作成してみました。
 図にしてみると、撮影し損ねている所が結構有って、特に天守の右側はかなり不正確です。
 大きな建物では、各屋敷は上屋敷・中屋敷・下屋敷・武家屋敷と有るようなのですが、下屋敷以外はどれがどれか判らなくなってしまいました。
 それから、「開運稲荷」がどこかに有った筈なのですが、完全に見落としてしまいました。
 配置図の参考にした、建設開始から10年経過した頃の航空写真です。
 現在、天守閣が建っている辺りに二階建て以上の建物が有るようですが、規模がやや違うような気がするので、もしかすると建設途中か、先行した別の建物なのかも知れません。
 それ以外で現在見られる建物はおよそ存在しないようですが、コンクリによる基礎はそれなりに出来ているようです。
 ところで、この「野村キャッスルランド深山」は現地顕彰碑によると、昭和40年(1965年)8月から個人(以下T氏とします)が建設を始め、完成したのが31年8ヶ月後という事なので平成9年(1997年)4月と、かなりの長期間にわたって渉って工事していたようです。滝野城は昭和55年に落成の碑が建てられたようですが、それがどの範囲の落成を示すのかは不明です。
 おそらくその長い建設期間のいつか、それなりに体裁が整った頃から「東楽園」「滝野城」として営業していたものと思われます。T氏の没後野村町に寄付されたのが平成9年(1997年)で、町が運営を引き継いだものの、昨年の春(2006年4月)からしばらく休業となっています。
 ・・・あれ?今、この文章を書いてて気が付いたんですが、完成したのと寄付したのが同じ年ですね。てことは亡くなるまで造り続けた、あるいはもしかすると完成して満足して亡くなった、という事でしょうか。
 入り口で迎えてくれる「乙姫観音」。

 横に立っている案内板によると、
「この観音像は乙御前と云う姫様の生まれ変わりでこの城の建つこの場所をこし入れ(嫁入り)の際通られ、下流の桂川渓谷の滝(現在、乙御前の滝)に身を投げられたとの悲話が残っています。このゆかりの地に立像し、さぞ苦しかったであろう心中を察し、今は温和なお姿お顔にかえて永代に供養し、霊をなぐさめ城守観音として、ご加護をいただいております。合掌」
 とのことです。
 個人が造った施設にありがちな観音様が入り口でウェルカムしているのですが、施設全体は非常に大規模かつ本格的で、とても個人が造ったものには見えません(まあ、そうでなければ町も引き取ろうとはしなかったでしょうが)。
 しかし、よくもまあこんな山奥の林道も終点に近いような所に造ろうと考えたものです。ここまでの道のりを考えれば、もっと比較的便利な所に造る事も可能だと思われるので、あえてここに造る事になにか意味が有ったのでしょうか・・・
 多分、城を築く事が第一の目的で(顕彰碑にもそう書いてありますが)それ以外の利用方法はおまけだったのでしょう。
 入り口付近からバーベキュー会場を見下ろした様子。
 ここに写っている建物は全てこの施設のものです。
 バーベキュー会場へ下るスロープの途中から。
 正面に見える下屋敷と庭園への門は閉ざされていて入れませんでした。
 林道沿いのバンガロー。 同型の建物が施設内の多数有ります。

 西予市の施設紹介ページには「キッチン、水洗トイレ、温水シャワー、テレビ、冷暖房完備」となっています。
 駐車場あたりから見下ろした、沢沿いの庭園部分。
 手前に水車小屋が有ります。
 東楽園の碑は「野村町長山崎巌書」となっており、町に寄贈する前から行政とはパイプが有ったと思われます。
「遠い道 来た甲斐あった 別天地」

 確かに、ここに来てがっかりする人は少ないでしょう。問題はあまりに”遠い道”だった事でしょうか・・・
 これは風呂です。男湯・女湯が有るようですが、施設全体に対してずいぶんと小規模な風呂に思えます。
 まあ、宿泊する人はそんなには居なかったのかも知れませんが。
 そんなことを考えながら、林道沿いに施設の中を上っていくと、施設の中心と思われる天守の入り口あたりに軽トラが停まっています。施設の現状を見るに、全く放棄されている訳ではなさそうなので、誰か住んでいるのかな?などと思いつつ周辺の写真を撮っていると、おじさんが出てきてなにやら周辺の確認作業とか、池の鯉?にえさを上げたりしています。
 そんなに忙しそうでも無いし、こっちの事も多少は気にしている様子なので話掛けてみた所、やっぱりこの施設の管理をされている方(以下管理人さん)でした。
 和風喫茶の横には水汲み場が有ります。
 天守は連立式で、小天守(二の丸と呼ぶらしい)が入り口になっていて狭い掘に石橋が渡っています。
 天守の横に立つ滝野城の碑。
 「愛媛県知事白石春樹書」となっていますが、その横の案内板には「滝野城落成記念、昭和五十五年五月五日」と書いてありました。
 管理人さんにお話を聞くと、休業は続いているものの完全に閉鎖した訳では無く、去年の夏には釣り堀に魚を放流して営業していたとのことです、ちなみにさっきえさを上げていたのはその時の残りの魚だったようです。一応施設は再開は可能なように維持しているものの、かなり望み薄なので電気設備は主要な所以外は撤去されつつあるようです。
 おそらく年内には最終的な方針が決まるだろうとの事でした。

 *その後の7月に訪れた人の記事気ままな滝めぐりより)によると、やっぱり完全閉鎖が決まったようです。

 ここが休業に至った理由は、普通に考えれば採算が取れないという事でしょうが、休業する2年前に周辺の自治体が合併して西予市になった事も影響しているのかなと想像していたのですが、管理人さんのお話によるともう一点重大な問題が有ったのだそうです。
 それは、この施設が建設許可をきちんと受けていない事で、特に問題なのが五階建ての天守が設計も施工もT氏が行っていて、そういう無許可な建物を一般に公開して入場料を取るのはけしからん、と国から指導が入ってしまったのだそうです。

 そう言われて、天守を見上げてみても外からはとても立派でしっかり造られているように見え、危険な建物には見えません。管理人さんのお話によるとT氏は鉄骨や鉄板の加工技術を持っていたそうなのですが、その技術はかなりのものだった事が判ります。
 そう思って天守を見ると壁も瓦も妙にツルツルというかテカテカしている事に気が付きます。つまりこの天守は鉄骨構造どころか屋根も壁も鉄板で出来ているのです。錆びたらえらい事になりそうなのですが、その心配もあってか最近に塗装をし直したのだそうで、それにも随分とお金が掛かったそうです。
 天守閣の鯱。
 良く見れば確かに、瓦ではなくて鉄板による造形である事が判りますが、かなり本格的な造形です。
 小天守(二の丸)の鯱も鉄板製です。
 こちらの方がよりシンプルでシャープな造形になっています。
  因みに管理人さんの立場はナチュラルというか、管理を引き受けているくらいなのでこの施設に十分に思い入れは有って、さかにに惜しんでいるのですが、かといって税金の無駄遣いなのは間違いなく、事業の継続は無理だし無駄だと諦めている、という感じのようです。私もこのまま朽ちるのは大変に残念だとは思いますが、どう見ても黒字化は見込めそうにありませんし。
 採算が取れないのは、やっぱり場所が悪すぎなので、林道が南側にトンネルで抜けて宇和島から近くなれば多少は便利になるのだけど、との事ですが具体的な計画がある訳では無いようなので、それが実現するとしてもかなり時間が掛かるので、それまでにはここは朽ち果ててしまうでしょう。
 そして、さかんに「夏は涼しくて良いところなんだけどね」と強調されるので、冬は寒いんですか?と聞いたらなんと雪が積もる事も有るそうです。標高は500m程度なのですが、北向きの斜面なので雪は降りやすく溶けづらい条件ではあります。

 それから、管理人さんには施設のあちこちを案内してもらって、突然の訪問にも関わらずとても親切にして頂きました。
 管理人さんにお礼を言って別れた後、裏手の方に行ってみました。

 天守の向かい側にある追手門。
 敬老公園への入り口になっています。
 敬老公園は斜面をつづら折りに順路が登り、四国八十八ヶ所巡りになっています。
 また、大日如来像なども配置されています。
公式ページ:西予市:野村キャッスルランド深山の紹介
−情報提供:hyperkinchoさん−
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