2 19世紀の教会

 
フランス革命とそれに続くナポレオン戦争によるヨーロッパの混乱のなかで、 カトリック教会は再び力を取り戻した。第1バチカン公会議(1986―187 0年)の開催がそれを表わしている。公会議は、教皇がその権限をもって信仰と 道徳に関して判断を下すとき、決して誤ることがないといういわゆる教皇不可謬 説を、カトリックの教義の一部として宣言した。またこの時代、教皇超は種々の 閉鎖的な指針を打ち出し、近代世界の動きのなかでカトリック教会は孤立してし まう結果となった。聖書や歴史に対する批判的研究は「近代主義」(modernism) と名づけられ、この世と妥協するものとみなされ退けられた。また、カトリッ ク学校で進化論の授業を禁じたのもこの時代である。

 こうした閉鎖性にもかかわらず、この時代には多くの修道会や司祭によって 構成された多くの宣教会が次々と誕生した。特にこの時期に創設されたおびただ しい男女の修道会は近代修道会と呼ばれ、修道生活を営みながら霊的指導、教育 、福祉、医療、学問、芸術など多岐にわたる分野をそれぞれの専門としてめざま しい活動を繰り広げた。また、その多くは国際的な規模で組織を拡大し、カトリ ック教会のもつ普遍性の実現に一役かった。北アメリカでは南北戦争(1861 ―1865年)後、宣教会の活躍によってカトリック教会は急成長し、プロテス タント国アメリカで市民権を得るようになった。