5 カトリック教会の宗教改革


 教会内の腐敗を嘆きそれを改革しようとする動きは、カトリック内部に常に 見られたことで、宗教改革の前夜にも新しい修道会や、司祭、信徒からなるおび ただしい数の信心会の創設が相次いだ。またエラスムスが展開した信仰刷新運動 が、それなりの影響をヨーロッパ各地に及ぼしていたことも事実である。宗教改 革運動が起こった困難なこの時代に教皇となったユリオ二世やレオ十世などは、 教皇としての務めを十分に果たしたとはいえないが、宗教改革の嵐を受けて教皇 庁はようやく自覚と指導力を取り戻し始めた。1542年、教皇パウロ三世は異 端審問裁判を再開し、プロテスタント運動を上からくいとめようとした。

 また一方で、イグナチオ・ロヨラによってイエズス会が創設され、カトリッ ク教会の宗教改革の有力な担い手となった。同会は厳格な規律と絶対服従の精神 、献身と優れた組織力によって、プロテスタント運動に染まっていった多くの地 域をカトリックに戻すとともに、キリスト教の伝えられていない海外諸国への宣 教にのり出して、新たなカトリック教会の形成に貢献した。日本へのキリスト教 伝来は、こうした世界宣教活動の一環であった。

 カトリック教会の宗教改革の総決算はトリエント公会議(1545―156 3年)に見られる。初め教皇庁は公会議の開催に消極的であったが、国内の混乱 の収拾を切望したドイツ帝国皇帝カール五世の要望に屈した形で、教皇パウロ三 世は開催に踏み切った。この公会議は、教会内にみられた聖職売買や贖宥符販売 の禁止、種々の悪習の撤廃、司教による司祭への監督強化などをもって規則の引 き締めをはかった。一方、プロテスタント運動に対しては、福音主義神学との対 決姿勢を鮮明にし、「信仰のみ、聖書のみ」に対して、伝統的な「信仰と行為、 聖書と聖伝」をカトリック神学として確認、表明した、また、原罪と義化の教義 を確定し、さらに洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の七つの 秘跡とその教義を確認した。ミサの典礼分をラテン語に統一したのもこの公会議 である。また、神学校制度を制定して聖職志願者の養成に力を入れることによっ て教会に実のある刷新をはかろうとした。こうして、カトリック教会は教義の整 備、霊的刷新、世界的拡張をもって次の時代へと向かっていった。