3 スイスの宗教改革


 スイスの宗教改革はツヴィングリによって始められた。彼はカトリック司祭 でエラスムスとルターから大きな影響を受けていたが、スイスの傭兵を使って領 土拡張戦争を行う教皇庁の姿勢に疑問を抱き、さらには教皇制そのものに批判を 向けるようになった。彼はチューリヒでルターの「聖書のみ」を主張し、聖書が 明白に命じているもの以外はすべて拒否する運動を激烈に展開したため、チュー リヒは大混乱に陥った。事態収拾のため当局は福音主義を受け入れ、ミサは廃止 され、修道院も姿を消したが、この動きはまもなくスイス全土に波及した。ツヴ ィングリの急進派の弟子たちは、国家と教会の癒着、信仰の俗化という悪の根は 幼児洗礼にあるとし、それを禁じた。そのため、幼児洗礼を受けている者は洗礼 を受け直さなければならないという、いわゆる「再洗礼」を説いた。主戦論者で あったツヴィングリはその後、チューリヒ軍を率いてカトリック諸州との武力衝 突をくり返しているうちに戦死した。

 ツヴィングリの後、スイスの宗教改革を引き継いだのがカルヴァンである。 彼はフランスに生まれ、初めヒューマニズムを基に法律を学んだが、20代半ば に福音主義に転じた。彼はフランス王がルター派の弾圧にのり出したのをみて国 外に亡命、『キリスト教要綱』を著して福音主義を弁護し、スイスのジュネーブ に宗教改革者として迎えられた。彼はかつての宗教改革者たちが犯した種々の混 乱から教訓を得、宗教と政治、教会と国家の機能を明確に分け、両者の担うべき 責任を区別した。一時は反対派に追放され、ストラスブールでプロテスタント教 会の指導にあたったが、1541年にジュネーブに復帰、1555年までにこの 町の宗教改革を達成した。その信仰はルターの福音主義に立ちながらも、世俗 の職業を神の召命とみなし、質素な生活と禁欲を重んじることをもって信徒の生 活の聖化をはかった。また、カトリックとは別の長老制を打ち立てて俗権に対し ても教会の独自性を保つ道を開いた。カルヴァン主義と呼ばれる彼の路線は、フ ランス、オランダ、イギリス、新大陸へと広がりプロテスタント運動を強めるこ とに一役かった。なお、彼の『キリスト教要綱』は幾度かの増補改訂を経て、プ ロテスタント神学の基本的な体系となった。