6 文化の反映と時代の変動


 ヨーロッパの中世が生み出した最大の産物の一つは大学制度である。それは 教会や修道院の付属学校と連携しながら発達し、ついには知識の統合という普遍 的な制度にまで成長し、今日に至っている。なかでもスコラ学と呼ばれる学問体 系は理性と信仰の統合をめざし、トマス・アクィナス、ボナベントゥラなど多く の知的統合者が出た。トマスの『神学大全』はゴシック大聖堂に匹敵する一大知 的構築といえる。しかし、こうした統合も後期スコラの時代になると、揺らぎ始 め、神学の真理は哲学の真理とは限らないという二重真理の主張がドゥンス・ス コトゥスやオッカムのウィリアムなどによって主張されるようになった。また、 13世紀末から14世紀にかけてドイツにはマイスター・エックハルトに代表さ れる神秘思想が盛んになる。神との直接的な合一体験の前には、目に見える教会 の制度や秘跡、教義などは必要ないとされる考え方が次第に広がっていった。こ のような一連の流れは、ヨーロッパの新たな方向転換を暗示しているといえる。

 14世紀に入ると、アビニョンの教皇幽閉事件や対立教皇の出現を前にして ジョン・ウイクリフやヤン・フスがキリスト教における究極的権威は何かを問う ようになった。ウィクリフはそれに答え、キリスト教を支える究極の権威は、教 皇や教会、公会議にではなく聖書にあると主張した。彼のこの考えはボヘミヤ地 方に飛び火し、反ドイツ感情に彩られたチェコ民族主義と結びついてフスを生み 出す。彼はローマ教会を攻撃し、宗教改革を訴えたために異端と宣告され火刑に 処せられたが、それを契機にボヘミアの反ローマ、反ドイツ闘争というフス戦争 が勃発した。それは次の宗教改革への道を準備することになった。 15世紀に イタリア都市のブルジョアを中心に始まったルネサンス運動は、またたく間にヨ ーロッパ世界に拡大した。それは、文明の黄金時代は過去にあるとする姿勢で、 人間性に重きをおき、「原点に戻れ」を合言葉とした。歴代の教皇はこの運動の 推進に力を注いだが、同時に中世千年の歴史を、あたかも存在しないかのように 飛び越す混乱をも抱えたのである。