2 教義論争

キリスト教がヘレニズム世界に広がるにつれ、本来の信仰内容を保ちながらヘブライ的、聖書的な枠組みを超えて、ギリシャ的な思弁によってどのようにイエス・キリストを再理解し、それを適切に表現するかが問題になってきた。ことに 東方教会では激しい教義論争が展開され、4世紀初めのアリウス論争から8世紀 の聖画像論争に至るまで、教会は正統と異端をめぐって激しく揺れた。このような論争はしばしば宮廷内部の権力抗争とからんで、いっそう複雑な状況を呈した 。

教会は問題解決のために、司教を中心とする「公会議」をしばしば開催し、論争に決着をつける場とした。なかでも325年の第1ニケア公会議、381年の 第1コンスタンチノープル公会議、451年のカルケドン公会議は、教会史上重要な意味をもった。これら一連の論争と公会議の諸決定は、次の点を正統信仰として確認したのである。すなわち、イエス・キリストは真の神にして真の人である。父と子と聖霊は等しい神性を有する唯一の神である。キリストの人格(ペルソナ)のうちには神性と人性が分離も混合もなしに、しかも区別されて存在するということである。これらは、いわゆる三位一体と神人両性論と呼ばれ、世界信条としてキリスト教共通の遺産とみなされ、今日に至っている。

一方、西方教会ではアウグスチヌスが登場し、多くの著作をもって古代教会以来の豊かな信仰の遺産を受け継ぎ、さらにそれを再構築して次の世代に引き渡すという偉業を残した。それは、以後の教会にはかり知れない影響をもたらすことになった。