5 正統と異端

ローマ帝国の精神的風土は多神教とヘレニズム文化によって彩られていた。そ うしたなかに広がっていったキリスト教は、自己の純粋さを保つために当初から 幾つかの戦いに直面しなければならなかった。

一つは帝国内で盛んであった種々の密儀宗教との対決である。その多くはキリ スト教の洗礼や聖餐式に類似した儀式を行っていたため、聖書信仰との境目があ いまいになる危険性が常にあった。また一方では、宗教の本質は超自然的知恵( グノーシス)を得ることであるとする哲学的な宗教も盛んだった。それは、霊肉 二元論をうちたて、精神や魂を罪と滅びの原理である物質や肉体よりも優れたも のとみなしていた。ごく初期から教会内部にはこの立場からキリストを理解しよ うとする者が現れ、キリストはグノーシスの現れであり、地上のイエスの肉体は 仮にそう見えただけのことと唱えた。しかし、そうなれば神のことばの受肉や十 字架のあがないも 意味をなさなくなってしまうとして、早くも使徒パウロやヨ ハネは、こうした異質の信仰と戦わなければならなかったのである。

以上のような外からの迫害や内からの異端との戦いという教会の危機に対処し ていく過程で、正統信仰を保つ道筋が次第に整えられていった。
第一に司教制の確立である。すでに2世紀初頭、アンチオケのイグナチオは、 司教は使徒たちのあかしを継承する正統信仰の担い手であり、教会は司教を中心 として成立することを主張している。司教、あるいは司教団こそはあらゆる異説 に対抗する防波堤、教理と信仰教育の担い手とされた。
第二に「信仰の尺度」と呼ばれた信条が制定された。初代教会以来、洗礼志願 者は信者会衆の前で信仰定式文を読み上げて信仰告白を行っていたが、それが正 統と異端を見分ける尺度として用いられるようになった。
第三に、正統信仰を裏づけ、保証する文献として聖書正典が定められた。すで に教会は旧約聖書を正典として受け入れてきたが、それに加えて典礼の場で用い られた、ナザレのイエスをキリストと証言する文献が新約聖書として定められた のである。

こうした司教制の確立、信条の制定、聖書正典の成立は、ほぼ迫害の終息と同 じ時期にあたっている。ここにカトリック教会の土台が定まったのである。