(3)

「俺、思うんですけど…このイベントに最後までつきあってくれるだけで、参加者は凄いと思いますよ…色々な意味で」
「そうですねぇ。どちらかというと、手首の血管を切ってホラホラまだ死にませんよ〜っていう類の忍耐心に入るかと思いますけど」

 実は参加者のみならずスタッフもグロッキー気味である。
 そんな弱気な冬弥や牧村女史を尻目に、表面上は相変わらずハイテンションな大志は満足そうにまだ生き残っている参加者を見渡した。

「ふっ…まずは大本命!実は今回初登場のような気もするが、デュラル家の本職メイド・フランソワーズ嬢!無表情キャラにロボ属性とつるペタが加わって実にトレビア――ン!だ」
「…つるペタ…」

 フランソワーズの囁きなど気にも止めず、大志の紹介は続く。

「対抗馬として藤田家のマルチ嬢!正統派ドジっ娘メイドとして死角なし!正統派天然ボケメイドのセリオ嬢の脱落は痛いがロリ・つるぺた・ロボ属性も兼ね備えたフランソワーズ嬢と並ぶ逸材だ!そしてオマケで量産姉妹もまだ2人残っているので三位一体のこのトライアングルはうまく発動すればまさに無敵不敗!」
「あああああ、いきなり落込まないでくださいお二人とも〜〜〜〜〜〜!?」
「……イエ……イインデスケドネ……事実デスシ……」
「…………………」(しくしく)
「ふはははははは!いきなりチームワークが乱れているようだが別にチーム戦ではないのであしからず!
 さてさて正直よくぞここまで勝ち残ったと称えさせていただこう!まいシスター瑞希!」
「ちゃんと紹介しなさいよバカ大志!っていうかそのまいシスターはやめろ!」
「まったくメイドさんとしては言葉遣いと素行が少々問題アリと思っていたが…ククク、しかしメイドのMはマゾのM……そうか。そういうことか…」
「いやらしい想像をするな―――――――――!!それ以上なんか人をネタに変なこと言って御覧なさい、タダじゃおかないんだからぁ!!」

 いまにもスカートの下からテニスラケットを飛び出させそうな瑞希を遠くからどうどう、と抑える手つきをしながら大志は――よせばいいのに一言付け加えた。

「…まあ…これもまいぶらざーの洗脳(調教)の成果か…」
「人聞きの悪いことを言うな――――――――――――――!!」(×2)

 大志は、あちこち焼き焦げを作り硝煙をたなびかせる和樹を見遣り、やれやれと肩を竦めた。

「恥じ入ることはないぞまいふれんず?
 尽くすことを悦びとする同志瑞希とその同志の援助がなくば社会的落伍者確定なまいぶらざー。
 …お前たち2人はなるべくしてなった運命の2人なのだ!
 その絆の強さは外に類をみない…それほどのお前たちなのだ!
 だから胸を張れ、同志和樹!」
「そ…そうか?」
「ダメよ和樹!騙されてるって――――――――!!」
「そう。…だから帰って仕事するのよ?」

 がしっ!

「ええええええええ!?だってもう原稿は終わったはず……!?」
「次号とまた別の新企画の打ち合わせがあるの」
「新企画って、オレ聞いてませんよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
「言ったら逃げるでしょ」
「ひとでなしぃぃぃぃぃぃぃぃぃ………!」

 編集長にずりずりと引き摺られていく和樹を見送って、瑞希と大志は先程までの言い争いが嘘のように、しみじみと呟いた。

「ふっ…できる仕事は貪欲にこなし、名と腕を売る機会は逃さず掴むべし」
「和樹、がんば。……編集長の差し入れのメロン、ちゃんと和樹の分は取っといておくからね」
「お2人…もしかして和樹売りました?」
「「あははははははははははははははははははははは」」

 ジト目で睨む冬弥に、2人は揃って明後日の方角をむいて笑い声を上げた。

「なんか私…影うすいよ…」
「ああ…なんだかとっても幸せ…」
「千鶴さん…お願い、無視しないでください…」

 家事の達人として当然のように勝ち残り、実は先程も大活躍だったにも関わらずイマイチ存在感のないあかりである。その隣りの千鶴は、自分の料理が争って求められるという奇蹟というよりアンビリバボーな出来事にすっかり感動に浸っていて、ちょっぴりダメな人になっていた。

「フ…いよいよこれからが正念場だぞ。そんな様では…勝ち残ることはできん」
「なにやってんですか雄蔵さん――――――――――――――――――!!?」

 内側から筋肉で弾けそうなメイド服とエプロンスカートを身に纏い、頭に絹のヘッドドレスもちゃんとつけた雄蔵は、その格好で重々しく頷いた。

「愚問だな。今更問われることではあるまい」
「っていうか最初からいました?今、初めて気づいたような気がするんですが」
「気にするな」
「すっごい気になりますよ―――――――――――!!」(×たくさん)

 ほぼ全会場及び視聴者からのツッコミに、しかし全く動じず雄蔵は泰然として言った。

「これも全て郁美のため…!」
「うわー、優しいお兄さんですねー」
「マルチ御姉様…お願いですカラ、ソレダケで済ませナイで」

 ロボットには有り得ない疲労を滲ませて、マインは呻くように言った。
 言われた方は不思議そうであったが。

「まーったく。郁美ちゃんもいい加減、お兄さんを頼るのは控えた方がいいと思うけど。
 まあお兄さんの方も妹離れできてないから仕方ないか」

 かったるそうにその場に姿を現したのは、顔見知りの人物だった。
 しかし、何故、この場にいるのか。
 ここにいるのは、少々、意外な人物であったから。

「ま、意外に思うのは仕方ないけどねー。
 とにかく次の試しは私が担当するから、じゃあまあそういうことで」

 タバコを求めてわきわきする指を抑えて、了承学園のグータラ保健医・メイフィアはいつもの白衣姿で一同を睥睨した。

「あの…次の試しって?」
「んー。よーするに、どんな手段でもいいから私に勝てばおっけー?」
「なんでメイフィアさんに勝てばメイドとしてオッケーなんですか?
 ……あれ?どうしたのフランちゃん?」
「……………」

 あまり表情豊かとはいえない自動人形のフランソワーズだが、それでも明らかに緊張している雰囲気に、あかりは心配しつつ不審そうに見遣った。しかし、フランソワーズは油断無くメイフィアを警戒したまま、あかりの方を見ようともしない。
 それでも、返事だけはしてきた。

「お気をつけください。メイフィア様はデュラル家お抱えの魔術師ですが、同時に侍女として長年ルミラ様に仕えてこられた方です」

 ゆっくりと腕を組むメイフィアは、別にいつもと変わらずのほほん、としているように見える。デュラル家メンバーの中では地味な方であり、柳川との騒動は多いが実のところさほど好戦的ではなく、能力的にもディフェンスとしての傾向が強い。
 単体では、学園関係者の中では無害な人物といえなくもない。
 少なくとも殊さら他者に脅威を与える存在ではないのだ。能力的にも性格的にも。
 だがフランソワーズが彼女を見る目は、身内であるにも関わらず全く油断無いものであった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 いつの間にか荒木チックな擬音まで背負っているメイフィアはそんなフランソワーズの非好意的な視線に気付いているのかどうか、ともかくフッ、と余裕の笑みを浮かべ。

「ネージュ・ドゥ・ジェイド!(翡翠の雪)」
「ええええええええええええええええええええええええええっっっ!!?」

 星雲を背景に小宇宙(コスモ)が爆発した。
 あかり達のみならず、身構えていたフランソワーズまで一気に吹き飛ばす威力である。

「い…いまのは一体…?」
「な…なにが起こったというの…?」

 地面に伏すメイド達を見回し腕組みしたまま微動すらしていないメイフィアは周囲を見回して――その視線を止めた。

「Neige de Jade…夜明けを選んで摘み取られる白茶。
 その厳選された茶葉は絹にくるまれ、その上から手で丁寧に揉むという限りない入念さの逸品。淹れたお茶は澄み、白い花を静かに想わせる森の洗練された香りが漂う妙なるダージリン茶の芸術品。
 まさかこの場で見ることになるなんて…!」
「流石に紅茶には一家言あるだけのことはあるわね――瑞希ちゃん」

 相変わらず腕組みをしたまま、しかし滅多にみせない真剣な顔になるメイフィアと、それに対抗してオーラ(?)を燃やす瑞希を見ながら、あかりは誰にとも無く問い掛けた。

「これって…メイドさんとかお茶の入れ方とかもう全然関係ないように思えるんだけど」
「いや思うって…既に確定でしょ?」

 ザラザラと手のひらに精神安定剤を盛りながら冬弥が呻き声で応じる。
 そんな全ての観衆を置いてきぼりにして、二人の対決が始まった。

「銀針(Yin Zhen)…」

 スッ、とメイフィアの目が細くなる。
 そして瞬間的に気が膨張した。

「エギュイーユ・ダルジョン!!」

 茶葉が最も美しい黄色を出す、1年のうち僅か2日間のみ収穫される白茶・銀針!
 その一杯は透き通った、青いマンダリン色となり、繊細でさわやかな香りを放つ。世界で最も貴重な茶の一品である!!
 だが瑞希はそれを果敢に迎え撃った。

「エギュイーユ・ドール!!(黄金針)」

 雲南紅茶の銀針(インゼン)の一つ!
 白茶の技法により黄金に輝く芽のみで作られ、天日のもとで乾燥、そして自然発酵される究極の紅茶の一つである!
 生産量がごく僅かなため、滅多に賞味することは叶わないその茶はまろやかでモルトの香りが立ち上がり、気品に満ちて香り高く、龍眼の花の蜜を想わせ、際立つ香りは口の中で余韻として味わい深い!

 バシィィィィィィィィィッッッ!!

 両者の間で激突の轟音が響き渡る。
 その力量は互角…いや、僅かに瑞希が圧していたか?
 誰も気付かぬ間にほどかれていた腕をゆっくりと組みなおしながら、メイフィアはしかし、微塵も揺るがない。
 そして瑞希は次の一撃を放とうと身構えた。

「いけません、瑞希様!」

 はっ、と何かに気付いたフランソワーズが制止の声を上げるが、それは一瞬、いや半瞬遅かった。

「ブルーム・ディマラヤ!!(ヒマラヤの霧)」

 そはダージリンの霧が立ち込める山々で育てられた紅茶。
 そは早朝に射し込む日の光だけを浴びて乾燥され、繊細に発酵された銀針のみでできた黄金の一杯。
うぶ毛に覆われた黄色い茶葉は花を想わせ、ヘーゼルナッツとマスカットのような香味が忘れられない紅茶である!!

 それを迎撃するように、一度組みなおされたメイフィアの腕がゆっくりと上がる。
 そして彼女は静かに呟いた。

「ロゼ・プレシューズ(玉露)」

 ガキィィィィィィィィィィィィ!!

「きゃああああああああああああああああああっっっ!!?」

 車田擬音と共に弾かれ、錐揉みしながら宙を舞った瑞希は、ずしゃっ!と地面にたたきつけられた。

「玉露――日出づる国の逸品。新芽の1枚1枚が丁寧に手で摘み取られ、しかも1年に1度に限られるこのお茶は、摘み取られる前の3週間にその茶園では覆いをかけ、光を遮り、クロロフィルの生成を促し、タンニンの生成を抑えるわ。
 エメラルド色に輝く茶葉の美しさは比肩するものなく、甘みある味わいで繊細な香りが芳醇な、最も洗練された緑茶といえるでしょう」

 ゆっくりと、まるで牡牛座の黄金聖闘士のように腕を組むメイフィアの姿に、フランソワーズは戦慄しながら独白した。

「そうか…あれは居合い!」
「ワケわかんないよフランちゃん〜〜〜!」

 隣りのあかりは泣きそうだ!
 そんな人々とは全くかかわりのないメイフィアは、僅かに顔を上げた瑞希に諭すように言った。

「茶とは本来東洋から欧州に伝わったもの。
 貴方達がイギリス紅茶のゴールデンルールやフランス流プレシャスティー、マイセンの茶器を尊ぶように、いえそれ以上に、中国茶や日本の陶磁器は嗜好品として、芸術品として求められたものよ。
 瑞希ちゃん。あなたの紅茶は素晴らしかった。でも少しばかり、紅茶だけに入れ込みすぎたようね…精進なさい」
「…ありがとうございました…っ」

 ついに力尽きた瑞希をスタッフの黒子衆が搬送していく。それを見送って、今回別な方向で非常識な保健医は、悪戯好きの魔女(そのまんま)の笑みを浮かべる。

「さあて…次は誰を不合格にしてあげようかしら♪」
「うわ腹黒っ」

 千鶴にそう言わしめるだけで、腐れ魔女のブラックストマックぶりは相当のものである。
 それはさておき、次の挑戦者は無言で進み出た。

「データロード終了…」
「マリナ、か。…顔見知りだからって手加減なんかしないわよ?」
「…………」

 無言で頷き、マリナは愛用のモップを構えた。
 活殺天王掃手。
 その実力は既に証明済みである。

「…っていうか実はアンタ、めっさ本気!?」

 少し慌てたようなメイフィアに応じず、お下げ髪のメイドロボは放たれた矢のような鋭さで一気に間合いを詰めた。その速さに、テレビで状況を見ていた耕一や浩之も一瞬、虚をつかれている。
 そして死角から忍び込む蛇のような一撃が、容赦なくメイフィアに襲い掛かる!

 ぱんっ。
 
 あっけなく、モップが跳ね上がる。
 そしてしつこい汚れを拭い取る雑巾がけのような手つきで、メイフィアのカウンターがマリナの鳩尾に吸い込まれていった。

「活殺…冥王掃手…?」

 無表情な顔にありありと驚愕の色を浮かべて、そのままゆっくりとマリナは機能を停止した。

「活殺冥王掃手…天王掃手を更に強力にした、正に無敵の清掃術。
 その前では気を用いた格闘術でさえ無力と化すといいます…」
「いやそれはちょっとオーバーすぎる表現じゃないかな、フランちゃん。
 というより…メイフィアさんって、一体、何者?魔女ってことは知ってるけど…あれ、どう見ても魔法じゃないし」

 あかりの質問に一斉に頷く皆を見て、フランソワーズはその重い口を開いた。

「メイフィア様は…長年、ルミラ様の侍女としてお仕えしていました」
「うん、それは聞いてるけど…」
「現在のデュラル家における私のように、掃除・洗濯・料理…家事の一切を全て担うメイドを俗に雑役女中、メイド・オブ・オールワークスと申します。主に中流家庭におけるメイドはこの雑役女中を言いますが、上流階級の雇用人ともなればその職種も専門化し、同じメイドであっても担当する職場によって上下差が生じます。
 …大まかに分類すれば掃除・洗濯を担当するハウスメイド、それより上級職になる食事の給仕やお客様の接待をするパーラーメイド。私のような雑役女中は最下層の職種になるのですが」

 その言葉に自分を卑下する様子などは微塵も無かったが、一旦言葉を切って、フランソワーズは泰然としているメイフィアを見た。

「そして女主人に代わり屋敷や雇用人の管理を行う…今風な言い方をすればゼネラルマネージャーとでも言いましょうか?その役割を担う家政婦を除けばメイド職としては最上級にあたるのは、女主人に直接仕える侍女…レディース・メイドと呼ばれる者です」
「れでぃーす…めいど?」
「はい。メイド服こそ着用しませんが、彼女等もメイドです。
 女主人に直接仕え、その身の回りの世話を全てこなすレディース・メイドは常に女主人と行動を共にするため、それにふさわしく品良く容姿に優れ、教養があり、服や装飾品の見立て役としてセンスに溢れ、無論主人に供するためお茶を淹れる技術も一級の者が選ばれるのです。
 階級的には、私が青銅聖闘士とすればレディース・メイドは黄金聖闘士に値しましょうか」
「………………」

 広大な会場に、鉛の沈黙が訪れた。
 ささやき一つ、しわぶき一つ聞こえない静寂である。

「はっはっはっはっはっ。…それはウソだろう?」
「ちょっと九品仏先生、それどういう意味!?」

 やれやれだぜドララー、と肩を竦める大志に少しむくれてメイフィアが抗議する。

「…デュラル家凋落の一因には、その辺の人事もあるんじゃないんですか?侍女さんって、主人の相談役もするそうですし」
「うわ牧村女史まで!?っていうかスゴイ失礼だ―――――!!」

 周囲の否定というか拒絶したい空気に、流石に図太いメイフィアも気分を害したようである。

「……ともかく。つまり、メイドとしての能力を使う勝負では、実は彼女はとてつもない障害だというわけだな?」
「でも…逆に言えば、それ以外の勝負に持ち込めば勝ち目は十分以上にあるということですね?」
「つまり単純暴力ということですか?」

 雄蔵&千鶴というこの場に残った参加者の中では最大、というより最後に残った戦闘者が進み出る。もう空になった精神安定剤のビンを投げ捨てて、やけっぱちに突っ込んできた冬弥に、2人は少し振り返って、心外そうに言ってきた。

「…男の戦いは常に全力勝負」
「説得ですわよ?あくまで説得」

 とりあえず、千鶴さんはやっぱり柳川先生の血縁者だと、冬弥は思った。

「別に恨みはないが…戦いに言葉は不用。ただ拳で語り合うのみ!」
「一応言っておきますけど…私もこんなやり方は不本意ですのよ?
 でもとりあえず目に見える障害は、とにかく思い切りぶん殴れば9割はとりあえず解決するという歪んだ法則が」
「歪んでるんかいっ」

 一応ツッコミは入れながら、メイフィアは左右から迫る二人を見た。
 分類するならば雄蔵はパワー型、千鶴はスピード型。
 直接戦闘ともなれば、いかに活殺冥王掃手の使い手たるメイフィアもひとたまりもないだろう。そもそも彼女は基本的には魔術師である。かといって、この距離まで相手を近づけさせてしまっては、魔術で対抗する時間と間合いも失われている。
 眉間に皺を寄せ、メイフィアは心底嫌そうにため息をついた。

「参る!」「お覚悟!」

 それを隙と見たか、二人は同時に仕掛けた。
 雄蔵は正面から、千鶴は上空から。
 やられる。
 だからメイフィアは、決断した。
 
 その時には唸りを生じた雄蔵の豪腕が目前まで迫っている。

 フッ、という息吹が流れた。
 紙一重で雄蔵の拳を避けたメイフィアは、まるで無重力じみた軽やかな動きで雄蔵の肩に手をかけ、跳んだ。

「な…?」

 完全に意表をつかれた動きに、ほんの僅かながら雄蔵は戸惑った。
 『彼女』の能力であれば、それで十分だった。

 がすっ。

 雄蔵の耳の後に踵がめり込み、その一瞬雄蔵の意識は飛んだ。
 そしてその反動でメイフィアは更に上へと跳ぶ。
 既に下降へ入っていた千鶴はそれを迎撃すべく、左右の鬼の爪を閃かせるが。

「え?」

 同時にメイフィアの指で光った長い爪に、千鶴の冷徹さに刃こぼれが生じた。
 それは柏木家の者にとっては見慣れた輝きであったから。
 ――鬼の爪。

 キン、と涼しげな音が鳴り、互いの爪が弾かれる。同時にメイフィアと千鶴の位置関係は逆転していた。
 千鶴は下に、メイフィアは上に。
 咄嗟に防御しようとして、千鶴は――目を瞠った。

「スケッチ――立川雄蔵」

 虚空に鉛筆を走らせたメイフィアは空間に肖像画――雄蔵の絵を描き出していた。
 それがふっ、とメイフィアの内に取り込まれるように消え失せる。
 同時にメイフィアから鬼の気が消え去った。
 そして入れ替わるように。

 どむっ!

「うそおおおおおおおおっっっっ!?」

 白衣を内側から突き破るような勢いで膨張する筋肉。
 圧倒的な重圧を伴った豪腕が降りかかり、咄嗟に千鶴は鬼とはいえ女の細腕でガードする。

 ガンッッ!!

「きゃああああああああああ!!?」
「うおっ!?」

 落下の速度が更に増した千鶴の身体を、どうにか雄蔵は受け止めた。
 その衝撃に、さすがに雄蔵の動きが数瞬止まる。
 メイフィアにとっては、その数瞬の停滞が狙いだった。

「―お休みなさい♪」
「あ…?」「え?」

 発動した眠りの雲の魔術が、あっさり2人を夢の国へ送り込んだ。
 へなへなと脱力し、その場に眠りこける2人の枕元にフワリ、と降り立ったメイフィアの顔はしかし、すぐれなかった。

「ああ…自己嫌悪」

 スケッチ。
 青魔法でいうところのラーニングである。
 相手の能力を一時的にコピーし、自らのものとする。使い方によっては強力だが、なかなかに使いどころが難しい特殊能力であるといえよう。
 素朴な疑問から、冬弥はメイフィアに問い掛けた。

「あの、なんで柳川先生相手にはこれ使わないんですか?」
「わかるでしょ。今みたいに筋肉ムキムキになっちゃうんだから。ああもう、緊急避難とはいえ、出来ればこの能力は使いたくなかったわよ」

 本気で嫌そうに顔を顰めるメイフィアである。
 まあ実年齢は○百歳以上とはいえ、メイフィアも見た目は麗しい女性。
 二の腕が普通の成人女性の腰まわりほどに膨張する筋肉マッチョになって、嬉しいはずがないだろう。

「さあて…残りは4人か」
「「「「ううっ」」」」

 ちろり、と舌を出してこちらに向けられるメイフィアの視線に、あかり・フランソワーズ・マルチ・マインは思わず身を竦ませた。
 彼女等はいずれも家事に関してはエキスパートであるが、相手もおそらく互角以上の家事の達人であると思われた。
 単純に技量の問題ではない。それに『メイド属性』を加えて判断される時、信じたくないが実は上級メイドさんだったメイフィアは、RPGの1stプレイ時のラスボス並には強敵だった。
 基本的に幼馴染み系・犬系・お嫁さん系のあかりにとって、メイド系は似ているようで微妙に違う属性である。

「…そうね。いい機会だし、この際あんたは徹底的に再教育しちゃおっかな〜☆」
「ハウウ…」

 なんかもー、いじめっ子そのものの目つきで指をワキワキさせながらにじり寄る元上司に、既に負けてしまっているマインである。

「いーじゃない、たまの休日に柳川センセ引っ張り出したって。ほっといたら家の掃除と図書館通いでジミ〜に過ごしちゃうんだから、文句なんて言われる筋合い無いわよね?」
「地味ジャアリマセン!平穏ガ一番デス!」
「えー。だってつまんないわよそんなの」
「デハ、一日中パチスロが有意義だとデモおっしゃるのデスカ?」
「えー?生産的だと思うけど?あがりはホテル代になるわけだし」
「ホッ…!?」
「あ、やーね、誤解しちゃダメよ?」

 チッチッ、と指をふって、爽やかにメイフィアは笑った。

「勿論男と女がいやらしいことスコバコするためのホテルよ?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 顔を真っ赤にして、しかし咄嗟に反論できず結局プルプル身体を震わせるくらいしかできないメイドロボを、勝利者の余裕をもってメイフィアが更に言い募ろうとした時。

 すこ――――――――――――ん!

「きゃあああああああああああああああああっ!?」

 いきなり横から繰り出されたヤクザキックに、あっけなくメイフィアはすっ飛んだ。
 ゴロゴロと10メートルほど転んでから、その勢いを殺さずにしゃきん!と立ち上がる。

「い、いきなりなにすんのよ!?」
「どやかましい!黙って聞いてれば有ること無いことベラベラと!」

 精神安定剤を口中に放り込みながら闖入者――柳川は、普段から尖った目尻を更に尖らせた。

「柳川様…」

 つつつ、とまるきり仔犬のように主人の背後に隠れるマインを少しだけ見ると、柳川は自分のメイドロボを後手に庇いつつ、握った拳をピタリと仇敵に向けた。
 そして――

「柳川様…ホテルって?」

 マインのちっちゃな問いかけに、思わず柳川の肩がコケる。

「いや…あのな、いま取り込んでいるからその話は後で」
「私、連レテ行っテもらったコト、有りまセン」
「だから後でっていうか、…問題そっち?」
「むー」

 ぷっ。

 やや垂目気味の目尻を指で引っ張り、無理矢理つりあげているマインに、思わず柳川は吹き出しそうになった。
 多分、彼女なりに怒りを表現しているのであろうが…傍目には、にらめっこをしているようにしか見えない。
 噴出しそうになった笑いを何とか口中で噛み殺すと、えへん、と柳川は咳払いをした。
 そして重々しく言う。

「…あのな、確かにこの前、メイフィアに付き合わされてパチンコ屋に行ったのは事実だが、そのあがりでホテルに行ったなんてのはアイツのデタラメだ」
「…ソウナンデスカ?」
「ああ。ホテル代くらい、わざわざパチスロなんぞに頼らなくても自費で」
「来月カラ娯楽費、5割削減シマス」
「ちょっと待て!?俺はホテルなんか行ってないって!
 …だ、だからその釣り目はやめろ!くる!なんか脳にくる!」
「あー。…ちょっといいかな?」

 一向に話が終わる兆の見えない主従を流石に見かね、司会として割って入る大志である。
 大志は、目尻から指をはなしてこちらを向くマインに諭すように、言った。

「よいかな。柳川殿はメイフィア殿をホテルには連れ込んでいない。
 これは確かな情報だ」
「ハア…」
「連れ込んだのはSMクラブだ」
「ちょっと待て!それは志保のガセ情報じゃないのか!?
 っていうか貴様わざとだな?おもしろがってるだけだろ!!」
「SM…クラブ?」

 かくん、と小さく首をかしげ、マインは隣りのマルチに視線を向けた。

「…ッテ、御存知デスカ御姉様?」
「えーと…察するところ、SF大会とかのMサイズ…とか?」
「…成程。ソレハ興味深イデスネ」
「そうですねー。私も行ってみたいですー、SMクラブ」

 ぶふふうううううううううううううううううううっっっ!!

「マルチちゃん…だめ…マルチちゃんそんな、そんなかわいい顔と声でえすえむだなんて言っちゃ…
 お姉さん、もう勃起しまくりじゃないっ…!」
「結花…頼むから、犯罪にだけは走らないでくれよ…」

 一気に大量の鼻血を噴き、貧血を起してダウンしながらも幸せそーな顔で痙攣している結花である。そんな彼女を、何かに耐える顔をしながら介抱する健太郎であった。
 その会話を背中越しに聞きながら、黙々と鼻血で汚れたテレビの画面を拭いていた耕一は、隣りの浩之をじたっと見つめた。

「浩之…いや、いい」
「…い、言いたいことがあったらハッキリ言ったらどうっすか耕一さん!?」
「いや…まあ…言っても多分無駄だと思うし…」
「決め付けることないでしょう!?…ってなにコッソリ肩を竦めてるんだ祐介!?」

 ――という外野の騒ぎとは無関係に、事態の中心部では新たな動きが生じていた。

「ちょっと九品仏先生。どうでもいいからこの部外者、さっさと追い出しちゃってよ」
「うるさい。この際お前のその性悪な根性を俺が叩き砕いてやる」
「砕ク…直スンジャナイデスネ…」
「あーハイハイ、楽しい夫婦間の揉め事はそれくらいにして」
「「誰が夫婦だっ!?」」(×2)
「妻ダナンテ…私…タダノメイドデスシ…」(もじもじ)

 ぐらり、とよろめく柳川を横目に、大志は口元をニヤリと歪めた。

「本来ならば部外者にはとっとと退場願うところであるが…丁度良い。
 折角だからこれを試しとしよう」
「試し?」

 怪訝そうな顔をする柳川に構わず、大志はババッ!と何やら格好よさげなポーズを決めた。
 そして言う。

「さあ…この傲岸不遜でワガママで自分勝手で偏狭な主人に対し、メイドさんはどう対応する?」
「何ナリとお申し付けクダサイ!!」

 チョッ早で対応するマインであった。
 というか、これは彼女にとってはサービス問題である。

「傲岸不遜って…いやいきなりそんな事いわれてもなマイン」
「うう…こんなのに何かするのはキッパリ嫌なんだけど」

 あからさまに顔を顰めるメイフィアの存在はもはや思考から追い出し、マインは今現在、どうやったら『ご主人様のお役に立てるか』というHM−12にとっては本能ともいっていい命題に取り組んでいた。

>とりあえずお寛ぎになって頂かねば
>しかし何も無いこの場でどうやって寛いでいただくか
>必要な物は…椅子。立ちっぱなしでは疲れてしまいます
>でもこの場に椅子はありません

「御主人様!どうぞ私に御坐りになって下さい!」
「短絡するな――――――――――!!」

 いきなり四つん這いになり、自分の背中に座るよう勧めるマインに柳川は思わず喚き返した。
 本気で頭が痛かった。っていうか言葉遣いが流暢なのは、感情が昂ぶっている証拠。
 完璧、マジである。
 その忠節は嬉しく思うが、それ以上に、周囲から突き刺さる冷え冷えとした視線が痛かった。

「そっか…やっぱり…」
「メイドロボに拒否権が無いからって…」
「うわー…濃い…」
「そういうこと、してるんだやっぱ」
「夜の公園で全裸のお散歩プレイなんて軽く通過しちゃってるんだろうなぁ…」

「そんなことしとらん!!」
「ハッハッハッ、照れるな同志…で?」
「で?」

 完璧に面白がっている大志を殺意丸出しで睨む柳川である。
 そんな彼に、大志は軽く顎をしゃくってみせた。

「で…座らんのかね?折角のご奉仕なのだが」
「座るかっ!?」

 半ば悲鳴のように怒鳴りかけ――柳川は、気付いてしまった。
 捨てられる仔犬のような瞳で自分を見上げてくるメイドロボに。

 ――私ではご不満ですか?
 ――私ではお役に立てないのですか?

「やっ…やめろっ!そんな目で俺を見るなッ…!」
「コノ目ハ仕様ナンデスケド」

 いつもの学園仕様のメイド風コスチュームではなく、黒のワンピースと白のエプロンドレス、頭にはしっかりとヘッドドレスをつけた完璧メイド装備のマインに、実は内心結構萌えている柳川である。
 メイド椅子。
 背徳的で歪んでいると判っていても、いざ『ソレ』を目の前にすると、抗し難い誘惑に捕らわれてしまう。
 元々、そういった方向の嗜好はあるだけに。

「御主人様…」
「………………うう」

 普段は禁じている『御主人様』の呼びかけに、常になく人前で柳川は頬を染めた。
 この問題教師でも人並みに照れることがあるのかと、冬弥などにとっては割と新鮮な驚きだったのだが。
 ともかく、それは彼の敗北の証でもあった。

「……じゃあ…まあ…これも審査の協力になるというのなら…」

 少なからず罪悪感と羞恥心を感じつつも、柳川はらしくなくおずおずと――静かに、マインの背に腰を降ろした。

「……ッ!?」

 こ、これは――――――――!?
 自分の重みを柔らかく受け止めつつしっかりと支える安定感!
 そしてこの絶妙な感触とほのかなぬくもり!普通の椅子ではどのような工芸品であろうとも味わうことのできないこれは…快感?

「くっ…!」
「だ、大丈夫かマイン?」
「ハイ!平気デス…!」

 健気に応えるマインに、また心の内に一匙、甘味と苦味が広がっていく。
 意識せず両脇に置いた手から、また新たな感触が伝わってくる。

「くふ…」
「え!?」

 片方は――フサフサとしてスベスベした肌触り。
 もう片方は――丸みを帯びた、キッチリと何か詰まったような、温みのある感触。

 右手は頭を撫でるように頭髪を梳き、左手はさり気なく、しかししっかりと、スカートに包まれたおしりに置かれている――

「……………………っ」

 本来、表情をあまり作れない顔の下に、歓喜と羞恥を必死に封じ込めて。
 彼女は、ただひたすら椅子になろうとしていた。
 ――歪んだ支配欲と圧倒的な征服感。
 ある意味、これぞメイドを抱える主人の醍醐味というものである。

「…ってナニ暗い悦楽にマッタリしちゃってるのよ柳川センセ!」

 いやもう奉仕する喜びと支配する悦びに揃って『ほわ〜ん』となっている主従のあんまりな様に、珍しく憤激するメイフィアである。
 そんな彼女にさり気なさを装った大志が耳元で囁く。

「で…貴女はどうされるのかな?このままだとマイン殿の1人勝ちということになるが」
「うっ」

 挑発ではあるが事実を告げられ、メイフィアはたじろいだ。
 参加者を自分のところで全て不合格にすれば防衛→賞品は私のモノ☆という目論見でいたメイフィアである。このまま手をこまねいて傍観するつもりは無かった。
 正直、このバカップル化している主従には係わり合いにならず、とっととお家に帰ってしまいたい気分ではあったが。

「スケッチ――HM−12・マイン」

 相手と同等になれば少なくとも負けは無い。
 そう踏んで、メイフィアはコピー能力を発動させた。

「…甘いわねマイン。それで御主人様にきちんとご奉仕しているつもり!?」
「エ?」
「メイフィア…?」

 なにか、微妙になにかが混ざっているようなメイフィアに、少しこっちに戻ってきた二人は怪訝そうに声を上げるが、メイフィアは構わず2人にしずしずと歩み寄った。

 しずしず…?

 違和感を感じた柳川が何かする前に、メイフィアは2人の後に回り込んだ。
 決して素早くはないのに、なぜか制止しがたい動きであった。

「マイン…『背もたれ』が無くては本当に御主人様に寛いではいただけないでしょう?」
「…ア…!」
「と、いうわけで…合体!」

 かし――――――――――――――ん!!

「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいっっっ!!?」

 膝をついたメイフィアが背中から柳川に密着し、その手を『ご主人様』の胸元へまわす。

 完成!スーパー・メイド椅子!!

「……って、ナニやってんだあたしは―――――――――――――――!!?」
「おお…マインには無い二つの膨らみが背中をしっとり抱え込む…。
 あー、くつろぐくつろぐ」
「速攻でくつろいでんじゃない祐也―――――――――――!!?」

 と、喚きたてつつも何故かその場から1ミリたりとも離れようとしない自分に、メイフィアはあせりと途惑いを覚えつつ――しかし、やはり椅子(背もたれ部分)の役割を止めようとはしない。

「自業自得、策士策に溺れる…か」
「どういうことなんですか九品仏先生!?」
「母さん全然わかんないわよ〜〜〜」
「ノリがいいですなぁ牧村女史。
 なに、原因は簡単単純一目瞭然。
 マイン殿の『滅私奉公』をコピーしてしまった故の悲喜劇…というところですか」

 う〜んマンダム、と顎を撫でる大志である。

「ははあ。…で、どーしましょう、この人達?」
「ふむ。こうしよう」

 なんの躊躇いも無く、手元のリモコンのスイッチを大志は押した。

 ガコン。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」(×3)

 そして即座に足元に開いた穴に、三人は飲み込まれていった。

「はっはっはっはっはっ。…健全な青少年はマネしないように」
「とってつけたような注意ですね」

 キリキリと痛む胃の腑を抑え、冬弥は熱の篭らぬ口ぶりで応じた。


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