いつも月夜とは限らない

1995年11月15日
著者   広瀬隆
発行者  野間佐和子
発行所  株式会社講談社
デザイン 菊地信義
製版   豊国印刷株式会社
印刷   豊国印刷株式会社
製本   株式会社大進堂

チェルノブイリ原発事故の後、ある意味で反原発運動の代表になった広瀬は六ヶ所村の核燃料サイクル処理施設の問題等を講談社の「DAYS JAPAN」誌上で「四番目の恐怖」と題して当時の青森県知事北村直哉の実名もあげて批判した。途中から記事の内容が軽くなった等指摘はあったものの、アグネスチャン問題が理由で廃刊になるまで「DAYS JAPAN」は真の意味でのジャーナリズムとは何かを追求し続けていたと思う。
「いつも月夜とは限らない」を読むと思い起こされるのが「DAYS JAPAN」なのである。広瀬隆は講談社から3タイトルの本を出しているが、この作品以降講談社から著作が全く出版されないのは何故だろう?この後、広瀬隆のジャーナリスティックな活動は、集英社を経て光文社に重心を移していくのだが、この作品は講談社に宛てた彼の決別状であり、講談社ジャーナリズムへの最後通告のようにも読みとれるのは勘ぐりすぎだろうか。
この作品の凄いところは、どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか判らないところだろう。この作品は主人公(=広瀬隆)の命が危なくなる話のためフィクションの手法をとっている分、恐怖がよりリアルに伝わってくる。本当に本人がコンクリート詰めにされかけたのではないのかと思ってしまう。学習会で、広瀬隆は実際に脅されていた事実を話していたし、自宅に外国の放送局と称する怪しい西洋人集団がテレビカメラを回して訪問したこともあったと語っている。残念ながら、類似の手法をもって描かれたこの後の作品群、「兜町の妖怪」や、「脅迫者の手」にも同様の遊び心は読みとれるが、フィクションとノンフィクションの境界をさまよう切実さにおいて、「いつも月夜とは限らない」を超えることは出来なかったと思う。
といっても、全く問題が無いわけではない。主人公の結婚にまつわるエピソードには違和感があるし、広瀬隆は妻と、本当にこのようにして知り合ったのか?という疑問が湧く。ここの部分いかにも作り話っぽい。人間が描けてないんとちゃうんか?と思ってしまう所も多い。
しかしそんな所を差し引いても、この時期の広瀬隆本人の理想と現実が芸術的に昇華した類希な作品だろう。

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