BE EXIST

Kasumi Degawa

重い荷物を担ぎながら旅をして,なぜ私は写真を撮っているのだろう・・と何度か自問自答した。

それで,私はその場所(空間)にその人間(存在)が確かに在ったのだという事の確認を、カメラを通して行っているのだと考えた。

私はその存在と向かい合いたかった。
その為に大型カメラが必要だった。大型カメラには不思議な重力があると思う。

私はシートフィルムに何らかの刻印を残すためにその人と向き合ったのだろうか。

1カット2枚のフイルムのベタを見ると不思議に思う。必ずと言っていい程、1枚は、むすっとして改まっていて、もう1枚は笑っている。

私は何もおかしい事など言ってないのに彼はカメラの前で何に向かって笑いかけているのだろう?

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あいかわけいとKasumi Degawa

Kasumi Degawaと会ったのはJOMOJOMOだった。その頃はまだ2人とも大学生だった。アイヌモシリ一万年祭からヒッチハイクで本州に帰ってきた彼女は泊まるところがなかった。そんな時JOMOJOMOのふっちゃんは自宅に泊めてあげていたのだ。山形からは、もんちゃんの友達のなおちゃんも来ていた。美女3人のいるJOMOJOMOに男は僕とマー坊の2人。おっと猫のひかりも入れて3対3だった。その日から相野沢キャンプ場で始まる「光と風の祭りっこ」に行くために無理矢理JOMOJOMOにおじゃました。
初めて会った時の印象はふっちゃんがいつも言っているように「ぽわーんとしたこ」だった。それと、でっかいカメラを背負って移動する不思議な人。キャンプから帰ってから僕は連絡して無理矢理遊んでもらったりしたけどよく僕なんかと遊んでくれたと思う。そんな所が彼女の懐の深さであったりするのではないのかな。
そんな彼女は今でも変わっていない。彼氏を追いかけてイスラエルからエジプトまで行ってしまったり、その活動の範囲は世界に広がっているようだ。最近はマガジンハウス社の雑誌「Olive」の撮影を手がけているが、山梨県の清里美術館では彼女の作品を高値で買い取ったという話も聞いている。また写真家の間では有名な、一坪展にもここ何年かは毎年本審査に残っている。これからもお互い頑張りたいもんだ、かすみちゃん。

かすみちゃんが死んだ・・・・2001年8月はじめのことだ。その知らせもふっちゃんから来た。未だに信じられない。宝島社のキューティーでひょうきんな写真家の出川さんとしてモデルの人達と一緒に紙面に写っていたのが僕が彼女を最後に見た姿だ。何度目かの世界旅行に出かけて中国を旅している途中に土砂崩れにあったらしい。日本にいて病気の親父さんの看病をしていたことや、エジプトに出かけた時も無事帰国したことを考えて、どうして?なぜ?と頭をめぐらせている。