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九度山から大坂へ・・・

慶長15年、およそ今から390年前、我が御殿幸村公が通られた道。
これは探り入れとかねばなりますまい(笑)草のものとして。

ここに来る人で、まず知らない人はいないでしょうが(^^;、簡単に説明。
関ヶ原で西軍につき(西軍の敗北)、戦後九度山に配流となっていた真田昌幸も3年前に病死し、いまは昌幸の次男幸村がこの地にひっそりと暮らしていた。

慶長15年の秋、豊臣と徳川の戦国最後を飾る大いくさが行われた。言わずと知れた『大坂の陣』である。徳川体制磐石への向けて家康が仕掛けた最後の謀略である。手切れとなった豊臣秀頼は、関ヶ原後全国にちらばる浪人衆に声をかけて、兵力を調えようとした。過去に徳川軍を2度も破っている真田本家の残党幸村の元へも、当然誘いの使者がきた。「ぜひ大坂方に軍師として参陣されたし」

今、時の勢いは、誰がどうみても徳川家にあった。兄信之は今も徳川の臣として働いている。息子達のこともある。「我のみ殺せば、別の道が開けるやもしれない」

当然熟慮したであろう。おそらく悩みに悩んだ末の結論であろう。
そして、幸村の出した答えは・・・

「大坂へ・・・」

であった。

で、「真田太平記」ではこの後、幸村を無事大坂へ入城させる為に、お江を中心に紀見峠の忍び小屋とその道筋(おそらく旧高野街道)をかためる事になるわけなのだが・・・

つまーり、
今回の九度山抜けは、その舞台となった九度山−大坂間を歩いて、草のものとして街道より徳川方を排除し・・・い、いやもとい(笑)、幸村公の大坂への思いをゆっくりと歩きながら考えたいなぁ・・という、まったりした企画なのであった(のはずであったのに、あんな事になろうとは^^;)
■実行日/8月7日〜8日
■参加人数/1人(つぼや又五郎)
■目的/九度山を抜け大坂入城
■手段/ただひたすら歩く
■ルート/(下記地図参照)

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難波から高野山行きの電車に乗る。ちなみに難波から九度山までは高野山行き急行に乗れば、約1時間20分、乗換えなしで着く(確か30分に1本ぐらい出てたような)。

電車に揺られながら、「ほんとに大坂に辿り着けるのか・・」その問題点になるような個所に思いをめぐらす。主として山間部。一応事前にルートの確認をしに行ったのだが、全部が全部調べられたわけではない。大体のあたりはつけたのだが、ぶっつけ本番なところがかなりある。迷ったらいやだな・・・(笑)最悪は国道沿いに行けば大丈夫なのだろうが、こっちは車が危険だ。歩道の無い所もかなりあったし。

とかなんとか思ってるうちに、電車は紀見峠を越え田園都市駅を過ぎた頃から、人も少なくなりだした。
もう少しで九度山だ。


■PM6:00前 九度山に到着〜。
以前九度山祭りで来た時のような喧騒が嘘のように、そこには「普段の」九度山が広がっていた。さすがに人影もまばらだ。

「さーて・・・」駅で買った水を飲み干ながら、、
又五郎にはこれからしなければいけない事があった。
それは・・・買出し(笑)

賢明な皆さんにはもうおわかりのことでしょう!そう、まだ準備ができとらん(−−;
ほんと相変わらずの行き当たりバッタ<毎度の事だね〜(苦笑)
(だって難波の駅で買おうと思ったら、単1の電池置いてなかったんだもん<もっと前もって用意しとかんかい)「あ、コンビニならこの道まっすぐ10分ぐらい行った所にあるよ」駅前で電池を買い、教えてくれたローソンに向かうが、それが車で10分であった事はこの際言うまい(笑)<他の人に聞こうにも、他に人影も見えない。
てくてく歩いて着いた先のローソンで、おにぎり3個と水2本を買う。なお、今回のフル装備は以下のとおりだ。

□マグライト(換え乾電池×3)
□おにぎり×3、水×2
□タオル
□デジカメ
換えの電池はある意味今日の生命線。山中で真っ暗闇に落とされるのだけは、避けなければ(^^;

実は最初、できたらこの水と食料だけで河内までは出よう!・・だって昔の人は、僅かな食料と水・・っても、運良く湧き水が無ければ竹筒の水だけで、かなりの行程を旅したはずだしね!・・・と思っていたのだが、とんでもお馬鹿な所業であるという事に、後で気づく(笑)。確かにこの日は夜間でもかなり暑かったが、多分今回の行程全体で飲んだ水は5リットルは越えたんじゃないかな。

加えていうと、最初におにぎりと特に水を買い込んだのは失敗。長距離歩くときは装備は軽くが原則ですね。山越え以外は、自販機も行く先々にあるだろうし、わざわざ持ち歩くと重いだけであった。


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結局ローソン往復で1時間ぐらい使ってしまった。

その往復の途中・・・

急に寂しくなる。
昔、小さい頃、出かけていった見ず知らずの先で、一人迷子になった時のあの気分。ああ、俺は遠いところに来ているんだな・・と思い知らされる。前に○○山脈の山並みが見える。あれを越さねばならない。
「い、今から・・??」
我ながら唖然とする。唖然とするよ。皆そうだろー(笑)
だってあの山、はるか先にかすんでるやん(^ー^;

思い直す。
いやいや、かの幸村公だって、九度山を抜ける時は不安であったに違いない。大坂までの道が安全だと保障されたわけではない。むしろその逆。そして15年住み慣れた地を離れて、大坂という未知の世界へ入っていくのだ。思いの殆どは不安な事柄であったろう。特に九度山を出る時は・・・。

・敵襲     →いのしし、熊、幽霊
・未知への不安 →60kmって、どうなん?
レベルの違いはおいといて、幸村公もおんなじ感じちゃうん?それはある意味、正しい感覚である(^ー^;


ああ、九度山の里が暮れていく。
皆家に帰って、夕ご飯にありついている頃だ。
だって外に誰もいないもん(笑)

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というわけで、大坂を目指して1人真田庵をでたのが、夜の7:30のことでした。
■PM7:30 出発〜
夕闇に沈む真田庵 →
さあ歩く。歩くとき。歩けば。歩こう。
もうただ歩くしか道はないのだ(笑)

「一人にてしてのけられない筈はない」
(というか、誰も付き合ってくれるはずはない:笑)
気合一閃、靴下を厚手のものに履き替えて、夕闇の中を歩き出す。慣れ親しんだ九度山の村を別れの挨拶を・・・

「さようなら〜真田庵。そして草屋敷〜」
←勝手に草屋敷にされた真田最中の店
むむ?普段歩きなれてないのに、なぜか軽快にとばせる。快調だ・・
30分も歩くと橋が見えてきたので、紀ノ川を渡る。「もし幸村様御一行が見張られていたとしたら、橋などのポイントは最警戒ポイントだな・・・」などと考えながら、橋を渡って暫く民家の中を進んだ。

「あれ?24号に合流しない・・」
いつの間にか山と平行に歩いている事に気づく。ちょっと不安がよぎる。橋のたもとからかなり来てる。「間違ったよ〜〜」で済まされる距離じゃない。これが恐かったんだよなぁ・・いきなりか?「たのむ・・この先で合流していてくれ・・」祈るようにしながらさらに進むと、ようやく明かりが見えてきた。街の明かりだ。24号線へ合流成功!昔で云うところの街道へ出たのである。

■PM8:30 (出発から1時間)国道24号線上
「どうやら、浅野の追っ手は見えないようだ・・・」
そこは往来が激い一本道であったが、やはりここは距離を稼ぐため街道をひた歩くしかない。敵襲を警戒しながらも、迅速に通り抜けることが肝要。幸い、思ったよりも快調にとばすことができ(時速5〜6kmは出てたんじゃ?)余裕の鼻歌もまじる(^ー^町の切れ目の国道沿では、所々で怪訝な視線を浴びるけど、

「ふっ、愚かものめ。俺はこれからお主の想像をはるかに越えたところまで行くのだよ(笑)」
心の中でほくそ笑みつつ橋本で左折、道はいよいよ371号線へと入り峠へと続いていくのである。
ここまでは至って快調である。

■PM9:30 (出発から2時間)371号線曲がって少し行ったところのローソン
■PM10:30 (出発から3時間)紀見トンネル前の歩道橋

さて、街道からはずれた又五郎は、国道371号線を北へ向かってすすむ。途中はずっとなだらかな上り斜面が続く。車で移動する時はさほど感じなかったのだが、371号線から紀見峠の登り口までいくまでが思ったより長かった!何気にずーと上り坂が結構疲れる・・・

そうこうしている間に、紀見トンネル前の歩道橋にだどりついた。
ここまで来ると流石に風景が寂しい。前には大きくオレンジ色の口をあけた紀見トンネルが見える。近くに民家も数軒見えるが、店らしきものはないので明かりもすくない。横(国道317号線)をはしる車の台数だけはまだ多いので賑やかではあるが、車以外に人通りは無い。トンネルを囲むように暗闇に不気味にうっすらと輪郭を写した山肌が見える。

歩道に上がった。一息つく。
つけられたオレンジ色の光が妖しげだ。

さて・・・
とりあえず飯(晩飯代わり)におむすびを食べることにした。

「ここからがいよいよだな・・・」
歩道橋の階段に座り飯をほおばりながら、これからの峠越えに思いをめぐらす。
ここで簡単に説明すると、この紀見峠、一昔前までは国道が山沿いに作られ、山を越えるかたちの道がメインの371号線であった(推測)。しかし、最近紀見トンネルができてからは、トンネル一直線で山向こうに抜けられるようになっている。で、このトンネルである。一応トンネル内には歩道が設けられているので、歩く事はできるのだが・・・

イマナラマダトンネルヲセンタクスルコトハデキルケド・・・
迷いが出た。というのも、この旧371号、前に車で下見したのだが、結構コワイのだ(笑)もちろん昼間は木々に囲まれた山道なのだが、調べたところでは外灯は無かったので多分真っ暗。途中猪とかでたらいやだな・・

なんて一瞬思ったりもしたわけだけど、やっぱり紀見峠「越え」なのであって、紀見峠「くぐり」ではない(笑)
ここで、とある真田草のものTさんに電話。

「峠を前にして急に誰かの声が聞きたくなったので、電話しました」
忍びの習性として「任務は極秘にすみやかに」なのに、俺はまだまだ甘いちゃんだよなぁ(笑)
夜の信濃の山中を一人で一晩中走り回るお江はやっぱりすごいや・・・

腹をくくって371号線から離れ旧国道に進路をとる。最初は民家の中を抜けていったのだが、ほどなくそれも無くなった。

「おい、いきなり挫けそうだぞ(笑)」
月の光はあったので、少しは見える。しかし、暗っっっっっっっっっ!!
両側には森の木がせり出している。ここまでくると車の音も無くなって、風が木を揺らす音と、「ホロロ」何かが鳴いている音が聞こえる。「おい、こんなところで何しよんなら」たぶん、獣がそういっているのだろう。「昼は人間にゆずってやってるけど、夜は俺たちの場所だよ。知らないよ」←こう思われてるのが、一番怖い(笑)お化けもさることながら、なにか得体の知れないものが突然出てくるのが嫌だよ〜〜〜

夜の山中というのは、やはり人間があまり足を踏み入れてはいけない場所だと思った。
歩く方向に照らす懐中電灯のぼんやりとした光の輪の中だけに、夜の森が見えた。後ろは今まできた道が闇にとけてなくなっており、もう前に進むしかない・・・なにか煽られるように足取りが速まる。

もし・・・
幸村が紀見峠を越えたとしたら、やはり夜であっただろう。もちろん紀見峠を越えたという確証は無い。もしかすると、和歌山までまわって海沿いに北上したのかもしれないし、それ以外かもしれない。でも旧高野街道にあたる紀見峠は、河内長野を経て大坂に至る最短ルートであることは間違いないし、考えられるルートとしては一番可能性が高いだろう。昼家臣を引き連れて堂々とというのも本で読んだが、私の中にある幸村公は、なぜか夜紀見峠を越えるのである。あくまでも罪人幸村。どこにも迷惑のかからぬよう、夜影にまぎれてひっそりと抜け出す・・・このイメージなんだよなぁ(笑)紀見峠には小さな宿場があったはず。ならばここで何がしかのドラマがあったかも知れませんね。

本当ならもう少し冷え込んだ木立と月の光に照らされながら、子、妻、家臣を連れ立ってこの峠に歩みを進める幸村。その時、彼はいったい何を感じていたのでありましょうか。


その紀見峠山頂に着いた。
さあ後は下るだけだ。・・が、下りの入り口・・・いっそう暗いっっっっっっ!上りは背中から月の光を受けていたのでなんとなく明るかったが、下りは山の反対側になるので、月の光がとどいてないぞ〜〜(笑)下り始めの部分は、まさに奈落の底に向かう感じだ。「さ、ここで夜明けを待つかな^ー^;(ひきつり半笑)」
そういうわけにもいかないので、下りは上り以上のハイペースで歩きました。 何にも出てくるなよ〜〜〜 と祈りつつ(笑)、懐中電灯を振り回し、靴音をわざと大きく鳴らして・・・忍びらしからぬ行動( ̄ロ ̄!

おかげで、この峠越え全行程やく40分で無事切り抜けられましたとさ。


■PM11:30 (出発から4時間)旧国道からふたたび371号線に合流
峠を下るとそこには「大坂/河内長野市」の看板が・・。
「おおっ!ついに大坂だ・・・」

不安だった峠を抜け、和歌山から大坂へ。
まだまだ山中には変わりないが、とりあえず大きく前進した気分。ここまで4時間。実に快調なペースでは?
とりあえず休憩する又五郎。
もうこの時点で、汗ぐっしょりで、Tシャツの乾く暇もない。

横を見ると、国道371号線にはまだ車の量も多い。
この少し先の信号機までこの国道を行くことになるのだが、そこまでは歩道があるので大丈夫。信号を右折し坂を下っていくと、小さな村がありその先に遊歩道がある。この遊歩道は、先日下調べの時に「国道は歩道が切れるところが一番危ないなぁ・・どっか国道以外に道がないかな」と探していた時、偶然発見したのである。村の人に尋ねると、遊歩道は旧南海線の線路跡らしい。結構先まで行けるらしいのだが、どこまで続いてるのか聞けなかったので分からない。でもこの山間を371号線と平行にはしっていそうなので、いちかばちか遊歩道で行けるとこまで行くことに決めていた。

遊歩道は山裾を通っており、相変わらず暗かった(笑)
しかし視界は開けており、向こうに平行に走る国道371号線も見える。外灯もあり、あの峠を越えてきたものにとっては、楽勝の道である(笑)

■AM0:30 (出発から5時間)千早口の駅
遊歩道はところどころで南海の駅と交わっており、終電の去った天見駅は無人だった。

出発してから5時間、ここまでノンストップで歩いて25キロはきただろうか。そろそろちょっと疲れてきたので千早口駅前の階段で缶ジュースを飲んで休んでいると、すぐ前の民家の人が出てきて、こんな時間にリュック背負った妖しげな人が終電の去った駅に座っている光景を訝しげに見ていた。ははは。


しかしとにかく歩きつづけるしかないのだ。目標では、夜が明けるまでに山間部を脱したい。
そこまでくれば、浅野の軍勢も追ってはこないだろう(笑)

■AM1:30 (出発から6時間)美加の台の駅
ついに大坂平野が見えてきた!
下の地図でいうと、ちょうど山の部分(肌色)の切れ目の所である。結局、遊歩道は途中なぜか通行止めになっていて、ふたたび国道へもどり、歩道ある部分もない部分も含め数キロを歩いた。結構ひやひやしたが大事なく、むしろ横を通過した車のほうがびっくりしてたんじゃないかな。

ここまで来るとほっとしたのと同時に、なんとなく疲れ(特に足)がまた襲ってきたので、本格的に一息入れる事にした。ちょうど駅前が大きなバスターミナルだったので、バス停のベンチにひっくりかえって横になる。なんどかタクの運ちゃんが寄ってきて、乗らないのかー的視線を送っていたが、こちとらこれから歩いて大坂城を目指す身だ。他をあたってくれ。<他には誰もいないけど(笑)

←死亡中の又五郎(笑)

ところがここで事件が起きる。
寝過ごさないよう薄い眠りに入りながら、しばらく横たわっていると・・・

・・・あれ?・・・おかしいぞ。急に強烈な寒気が襲ってきた。
この時季、確かに夜の山間部とはいえ、かなり蒸し暑い。現にいままではTシャツ一枚で十分であり、それでも滝のように汗が流れてきたのだ。しかし・・・確かに寒い。しかも強烈な寒さだ。寒さ?悪寒?唇が震えて歯がなりだした。なんだ?なんかやばいかもしんない。念のため持っていた厚手のシャツを着る。それでも震えが止まらない。ついに全身震えだした。

「やばい。ここで行き倒れになったら恥ずい(笑)」
とりあえず、とっさにここで止まっていてはやばいという判断に達した。動いていれば、また暑くなってくるはずだ。とにかく動こう。ということで、
■AM3:00 (出発から7時間半)美加の台を出発する


歩きながら、ふとある事に思い至る。
「そうだ!俺は大量に汗をかいたから、軽い脱水症状におちいっているかも。なら・・・だ!なんだかわからんけど、とりあえずを補給することだ!」
人間やばいときは、突拍子もないことを考えるものである(笑)。

とりあえずコンビニを探す。
見つけた。で、さっそく買って食ったのがコレ。 → うーん、実にシーフード。海=塩、コレ常識(笑)というか、その程度の判断力しかもはや持ち合わせていなかった。さっそくコンビニ前の歩道橋に座り、カップ麺を腹にかっこむ。おなかの中に暖かい麺が・・・ああ、幸せ。ほんと上手いと思ったよ。これで復活するのか?

しかし、思ったより自分の推測はあたっていたのかもしれない。
なんか一気に震えが止まり、楽になった。やはり人間、塩は大事だ。信玄と謙信の塩の逸話も、人事ではないような気になってくる(笑)

■AM4:00 (出発から8時間半)国道170号線とぶつかったあたり
カップ麺のお陰でふたたび元気をとり戻し、歩き始めてから1時間、今度は国道170号線とぶつかる。国道170号は大坂では通称「外環」と呼ばれており、昔は東高野街道が走っていた道路だ(下図参照)。ちなみに又五郎は、地図などという洒落た物は一切持っていってなかったので、こういう見たことのある名前の道路にぶつかると、ほっとする(笑)


AM5時前、夜が明けた。
夜九度山を出発して、明けの太陽を本当に大坂で見れるのか??
と思っていたが、どうやらそれは達成できたようだ。

新しい朝。
もうそこは流罪の地ではなく、新たな戦いの場。
今までとは違う朝です。

さあ大坂まであと一息!


ところが、その時・・・
■AM5:00 (出発から9時間半)左の写真のとこ(国号310号線上)
を過ぎたあたりから、足に異変が!?
最初は右足のまめを気にして歩いてたら、その変則的な歩き方がわざわいして両足に痛みが・・・
あれ?と思っているうちに、どんどん鈍い痛みが両足に広がっていく。

ひょっとしたらやばいかも・・・?

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で、いよいよ今日の『その時』がやってくるわけですが・・・(NHK某番組風:笑)
その時、又五郎が出した答えで、その後の堺の忍び宿は、朝から騒然となるわけです。

右の写真の交差点を・・・
・右へ曲がれば、もう大坂までノンストップ
・直進すれば、堺の忍び宿一段落

もうお分かりですね。そう、このまま大坂へはたどり着けないと読んだ又五郎は、いったん休養を取って再出発するために、少々大回りになるが堺へ向かう事に決めたのであった。下の地図でいうと、当初のルートでは西高野街道から中高野街道へと進路をとり、奈良街道を経て大坂に至る予定であったが、そのまま西高野街道を直進する事に。そのままそれが苦難の始まりだとは知る由もなく・・・。

それからの数時間は写真もありまへん。思い出したくもないです(笑)
「堺はまだか〜、堺はまだか〜」
苦行僧のように苦悶の表情を浮かべながら、足をひきずってゆく。

■AM6:00 (出発から10時間半)初芝高校前
■AM7:00 (出発から11時間半)記憶にない
■AM8:00 (出発から12時間半)記憶にない
ちょっといっては歩道にねっころがって休み、またちょっといっては休む。ことあるごとに「堺はまだか」と人に聞き、「えーーっ、こっからだとかなりあるよ」の言葉に幾度となく絶望する。バスが横を通るたびに「もうええやん」という誘惑に駆られながらも、「堺にさえたどり着ければ、一休みして回復すれば再出発が切れる。そこまでは歩かなければ・・」と普段淡白なわりには、妙なところには執着心を燃やすAB型(笑)
というか、昔の人って甲冑つけたまま何十キロを歩いて行ったのだよね?
ついた先で「足いた〜い!」などと言ってたら、ぷすっと刺されて終わりです(笑)
普段は軽く考えがちな行軍のありようを考えさせられる機会でもありました。

■AM9:00 (出発から13時間半)堺に到着〜
最後は死間際の猫田与助のような又五郎であった(笑)

それでもなんとか堺までは歩き通し、「どないしたん」と驚きながらも風呂と布団をしいてくれた堺の忍び宿のロボ夫婦に感謝し、しかし、ついぞ回復を果たせず今回の大阪入城を断念せざるをえない状況に惜敗の念を抱きつつ、又五郎の今回の九度山抜けは終了したのであった。


++ Walking Map ++
地図

スタート(7:30)8:00紀ノ川を渡る
1時間(8:30)国道24号線沿いファミレス前
2時間(9:30)国道371号線曲がって少し行ったところのローソン
3時間(10:30)紀見トンネル前の歩道橋〜めしを食う
4時間(11:30)峠道終了地点371号線との合流地点
5時間(0:30)千早口の駅すこし前
6時間(1:30)美加の台駅 寝る
7時間(2:30)(・・睡眠中)
7時間半(3:00)美加の台駅スタート
8時間半(4:00)中高野街道との交差点(四日市の交差点?)〜夜明け
9時間半(5:00)国道310号線上(西高野街道)どこかの本屋前
10時間半(6:00)初芝高校前
11時間半(7:00)記憶にない
12時間半(8:00)記憶にない
13時間半(9:00)堺の忍び宿





Last up 2001/11/19
++ 九度山から大坂へ ++