交流コーナー(i)
<友達・家族が支えられることって何?>
[ 9 / 29 ]三界皆苦、と昔の人が言っていた。
瀬里香
[5月9日(金)01時24分]
こんばんは。
以前こちらでお世話になっていた者です。
摂食障害+他の精神障害諸をわずらう本人であり、
発達に問題を持ち療養指導を受けている娘と息子の母です。
にじさん。おひさしぶりです。
ワールドさんもお元気でしょうか。
わたしは母親のための「安全な場所」は必要だと思います。
母親の苦しみは、母親のものであり、
子どものせいにするべきではなく、
子どもにぶつけるべきではなく、
このような場所で存分に吐き出す必要があると思うからです。
ここは主に本人が出入りする部屋と
母親が出入りする部屋が半分つながっているので
隣の会話が聞こえてくることもあり、
それに対して何か言いたくなることもあるかと思います。
たぶんどちらの言っていることも、
それぞれが正しいと思っていることです。
だって間違っていると自分で思っていることを
わざわざ言ったりしないでしょう?
発言者本人が、
間違っているのに正しいと思い込んでいる場合もあるでしょうし、
その発言を受け取った人が、
本当は正しいのにそれは間違いだと思い込んでいる場合もあるのでしょうし、
確実に正しいことなんかそんなになく、
確実に間違っていることもそんなになく、
ある人にとっては正しいことが別の人にとっては間違っている、
というようなことは当たり前にあることだと思います。
もし自分が、ある人から見ると「間違っている」場合、
そのことに気付きたい、理解したい、という場合は、
相手の声を聞けばよい、それだけだと思います。
マナーについて書かれていたので個人的に追記したいと思います。
他人と関わる上で、あるいは生きていく上で、
半分は相手のため、半分は自分のため、つまりお互いのために、
自分の権利は最大限に行使しつつ、
相手の権利も最大限に尊重する、
というのがマナーではないでしょうか。
相手の言動の中に、悪意を探さない、というのは、
相手に対する誠意でもあり、
何より、自分に対しての優しさでもあるのではないでしょうか。
悪意を探して腹を立てるより、
その人は「間違ったことを習ってしまったのだ」と思ってみるほうが、
お互いのパイプがスムーズに通じるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、
相手と自分は同じ人間ではないので、
確実に正しいことなんかそんなになく、
贈る側が「愛情ですよ」と言って贈ったものが、
受け取る側にしてみれば「凶器」である、
ということは(親子の間でさえ)よくあることで、
だからこそ相手の話を聞いてみるほうが、
自分がよりよく生きられるのではないでしょうか。
長くなってすみません。
最後に少しだけ。
母親だけが責められ攻撃されるという状況を悲しく思います。
母親も人間で、昔は誰かの子どもでした。
幼い頃に間違って教わったことのひとつやふたつ、
あって当たり前なのに、
やむを得ず教わってしまったひとつやふたつの間違いを
いちいち責められ、それを子どもの問題の原因にされ、
「子どものための存在であること」
「完全に正しい存在であること」を求められすぎる、というのは
過酷に感じて当たり前だと思います。
どうかご自身を責めたりなさらず、
自分のためにも、大切な人のためにも、
どんどん発言してほしいと思います。
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