女になったのはいつから?(手術したのは)
一覧に戻る |
24歳まで普通の男だった。
女の自覚が出来たのは28過ぎ。晩生なの。
念願の性転換手術をタイで受けたのは大学2年の秋だった。それから2年
になり、今は女の身体に完全に慣れた。後遺症もなく、女である幸せを満
喫している。私はなんて幸運な人間なんだろう!
性転換手術は死ぬ思いだった。術後、化膿して完全に回復するまで半年も
掛かったのよぅ。でも、今は望み通りに女の身体になれました。
女になったけど、社会的に女として認めてくれないのは何故?
ハンセン氏病患者が政府の謝罪を受け、名誉回復したのよ。
性同一性障害だって、酷い差別を受けてきたわ。
私達だって団結して、差別と偏見を取り除く努力をする時代がきたのよね
ぇ。
誰かしっかりした人が、小泉首相に手紙を書いて呉れないかしら?
女になる決断は生易しいものじゃなかった。分かるでしょ?
10年ぐらい前、ドイツで生まれた男の子の双子ちゃんが
生まれてすぐ母親の希望で二人とも手術されて女の子になった。
これは週刊誌などでも話題になった事実である。
今頃は可愛い少女のはず。どんな気持ちなんだろうか。
生まれながら前世からそして輪廻転生を繰り返しても私は女です。現世は
ちょっとした手違いがありましたが、私は永遠に女なのです。
生まれながら前世からそして来世以降も輪廻転生を繰り返しても私は女で
す。現世はちょっとした手違いがありましたが魂は女で、私は永遠に女な
のです。
21歳の夏、フランスで性転換手術を受けさせられました。彼はフランス
人です。パリに音楽の勉強のため留学していた私は、アルバイト先のシア
ター・レストランでハンサムな彼と運命的に巡りあったの。
すぐに同棲、三ヶ月後には女性ホルモン治療を承諾したわ。そして終日女
装するようになり、さらに三ヶ月後にピエール病院で本当の女になるため
に性転換手術を受けたのよ。
フランスに帰化して女性の戸籍を得ました。今は、フランス人女性になっ
て帰国したの。彼は神戸の総合病院に勤務しています。最近、私の家族も
女性としての私を認めてくれましたが、ただでさえ難しい国際結婚なのに
私には正直に言ってハンデが付き纏います。これからも困難なことが前途
に待ち受けていると思いますが、頑張ります。
女としてのセックスは凄く痛かった。もうペニスは怖い。女にさせられた
のは18歳の時よ。今から8ヶ月前に性転換させられた。
女になったら、想像していたよりも辛い事が多いのよ。
今、自分の身体が女であるのが、時々、不思議になる。
ごく普通の男だった自分が膨らんだ乳房にブラジャー
を付け、女物のショーツを履き、ミニスカート姿なのだ。
もうトイレも女性用しか入れない。
2年間の自衛隊生活を終え、自分は自衛隊で取った資格を生かして
就職した。そこまでは普通の男としての人生だった。自分はどちらか
と言えば優柔不断の性格だった。
それで男性的になるために自衛隊を志望した。自分は自衛隊で見事に決断
力のある男性になれた、と思った。華奢な体格も少しは男性的な筋肉も付
いた。
再就職した会社で巡り会ったのが、マッチョのガイの課長の武田だったの
である。
忘年会の夜、泥酔した自分は男同士の禁断の関係になってしまった。
自分と同じに武田はホモではなかった。
この結果に自分たちは、トコトン話合った。
結論は正常の男女の関係でなければならない、ということになった。
武田も自分もこのまま別れるのは嫌だった。そうなると
どちらかが女にならなければならない。
2歳年上で185センチの大男の武田が女になれるはずはない。
自分は162センチ、57キロ、しかも顔が小さく目鼻立ちも女に近いの
だ。
自分は女に性転換する事を決断した。武田は大喜びした。
自分はタイで最先端の性転換手術を受けた。
それから自分、いや私の人生は180度転換した。
武田は今夜も私を抱くだろう。私は丹念に女になった身体を洗い清める。
もう私の女としての性生活は1年になる。私は後悔はしていない。
でも、時々、女になった自分が不思議に思うのは仕方ない事なのよ。
現役の性転換女子高生です。小学校卒業時に性転換手術を受けました。
第2次性徴が始まる前に女の子になることができたので、男の子の痕跡は
どこにもありません。でも膣のサイズが浅いため、彼氏とのセックスがで
いきないの。今年の夏に再手術で、膣を長くする手術を受けます。そした
ら彼氏とセックスしたいな。
↑
どうして小学生で性転換できたのか、もっと詳しくおしえてちょー。
女になったのは自分の意思じゃなかったの。だって、女の恋人がいて結
婚の約束までしていたんだもん。
それなのに今は女なのよ。理由は言いたくない。でも、女に性転換させ
られて、もう諦めたわ。
これからは女として前向きに生きて行くの。拒絶していたブラジャーも
先週から付けたわ。赤いタイトのミニスカート、厚底のブーツも履いたの
よ。
こうして、すっかり女として暮らす覚悟を決めたのは、1年前の23歳
の夏でした。
27歳です。妻と別れてすぐ去勢。半年後、性転換。私は医者だから女医
になりました。
女の身体って思ったよりも大変。いつも女は清潔にして身嗜みに気を付け
る、と言うのは言葉だけなら簡単だけどねェ。入浴するのも、女は男と違
って楽しんで入浴するんじゃなくて、まるでお仕事の延長のような気がす
る。22歳で性転換手術を彼の強い希望で受けて女になったんだけど、も
っと男時代を楽しんでおけばよかったかなあ、と思います。それじゃなけ
れば、十七歳ぐらいで女になれば、そんな気がおこらなかったんじゃない
かしら・・今年の夏は幾ら暑くても上半身を男のように裸というわけには
いかないの。ちゃんとブラジャーを付けてブラウスを着ています。
リストラされて、退職金で住宅ローンも完済して、
独身だったので、残ったお金で、お薬とタイへ行きました。
タイは仕事で何度も行って居るので向こうの人の紹介だったの
普通の生活していれば、後三年は仕事探さなくてもOK
専業主婦で〜す
私は背中に手を回し,ブラのベルトのフックを掛けた。揺れる双つの乳房
が固定されるのを味わう。
乳房が平らだった胸に出来てから半年になる。小さなハイレグのショーツ
にスンナリとした両脚に通して引き上げる。股間にショーツが貼り付く気
がする。
ペニスが消え、その跡はなだらかな丘に割れ線が恥かしげに走っているの
だ。思ってもなかった女の身体になって半年が過ぎた。
女として迎える初めての夏。今年はとりわけ猛暑である。
だからといって、私は去年のように上半身裸で半ズボン姿など許されなく
なったのだ。それに1年がかりで長くさせられた髪、あまつさえ化粧させ
られ顔、特にルージュを塗った唇、すべてが暑苦しい。
私が女になった理由は複雑で簡単には、説明出来ない。でも、性同一性障
害だったわけではない。むしろ20歳の正常の男子大学生だった。
それが研究室の藤堂助教授と知り合った頃から、私の人生は思わぬ方向に
運命のハンドルを切ったのだ。
かいつまんでいうと、尊敬して止まない藤堂助教授の研究を助けるために
、先生のマンションに同居して、身の回りの世話をするところから、事は
起こったのである。
某夜、研究が一段落したので、先生と二人でウイスキーを一本飲み尽くし
てしまった。気ずいた時は裸でベッドに寝ていた。傍らにはやはり全裸の
藤堂先生が横たわっていた。もう、説明しなくてもいいだろう。
それから私は先生の妻代わりになった。先生は私を深く愛してくれた。
それは私とて同様である。
先生はホモではない、といった。私もそうだ。
二人で真剣に徹夜で語り明かした。その結論が私が性転換して女になり、
先生の弟して入籍して事実上の妻になる事だった。
女になってから先生にだかれると、罪悪感や嫌悪心が綺麗になくなったの
に、我ながら驚いた。
今は先生の理想の妻になるため、必死に努力しなければならない、と考え
るようになった。先生の為にもっと美しく女らしくなるため、努力しなけ
ればならない。ダイエットの成果で体重は48キロになった。ちなみに私
の現在のプロポーションはB82、W51、H83である。
私、37歳で性転換したの。でも
仮に妊娠能力があっても高齢出産になるわけか・・
早く女になりたかった
26で性転換、今は29よ。
黒服のボーイだったんだけど、今は
ドレスのホステス。でも、彼が出来た。
本当は40歳すぎてから・・