ふりがな | ※○男・女 | |
氏 名 | A.H. | |
生年月日 | 1962年10月23日生 (62歳) |
年 | 学年 | 月 | 学歴・職歴など |
1962 | 10 | 23日生まれる。生まれた時は男の子で、名前はA.H.と名付けられる。 | |
1962( 0) | 10 | 停留睾丸、尿道下裂を持って出生。女の子として育てられる。(立っての排尿できずとりあえず女の子として育てたとの事) | |
1967( 5) | 10 | 睾丸固定術、尿道形成術。男子服買うも嫌がって着ず。 | |
1969( 6) | 3 | 戦争の混乱期:女児として育てられる。卒園。 | |
小1 | 4 | 戦争の混乱期:女児として育てられる。入園。 | |
4 | 入学。 | ||
5 | 小学校入学時 将来のことを考え男の子として育てようと試みるも男装希望せず女性として育てる【親よりの言伝】。 | ||
1970( 7) | 小2 | 7 | 尿道形成術【2回目】立っての小便可能となり。ズボン着用。ズボン生活になるも髪はおかっぱとして11歳まで続ける。 |
1974(11) | 小6 | 9 | 修学旅行にて男性器発達不良が明らかになる。【中学校修学旅行でも同様】以降中学卒業まで男友達は出来ず。 |
1975(12) | 3 | 卒業。 | |
中1 | 4 | 入学。 | |
5 | 中学入学.体育【水泳の後)服を隠され、置かれていた女子の制服を着ざるを得ずその後セーラー服で1日過ごした事が忘れられない。】級友からは半ば女とみなされ友人は主として女性であった。懸垂等出来ず体育は地獄。 | ||
1978(15) | 中3 | 3 | 卒業。 |
高1 | 4 | 入学。 | |
4 | 高校入学。下半身を脱がされさらし者にされた。 その時代でもやはりイジメハあった。排尿は人目がなけラバ個室を利用していた。 | ||
1981(18) | 高3 | 3 | 卒業。 |
4 | 大学入学。水泳は必須であったが、股間が気になり苦手であった。水着は現在のようなトランクスではなく性器発達不良を隠す事は出来なかった。陰茎は小指程度の大きさで長さ3-4cm。 | ||
1985(22) | 4 | 大学院入学。髭生えず,陰毛も無し。変声無し。研究に熱中。 | |
1989(26) | 4 | 大学院修了 他大学講師着任。身長162cm。友人知人のいる時は立小便をするも陰茎発達不良のため着衣を汚す事しばしば。常時は個室利用していた。 | |
国立大学に入社。講師として働く。 | |||
1991(29) | 11 | 結婚。陰茎発達不良にて性交不可。 | |
1993(30) | 5 | 勃起経験、精通なく大学病院受診治療。【男性ホルモン及び性腺刺激ホルモン治療開始】 | |
1996(33) | 8 | 長女誕生 | |
1997(34) | 3 | 治療通院の時間問題あり転宅し大学退職【助教授】 | |
4 | 電気メーカーに就職。 | ||
長男誕生 | |||
電気メーカーに入社。主任研究員として働く。 | |||
1999(36) | 次男誕生(いずれも精液採取人工授精による) | ||
2002(39) | 治療放棄により再度陰部萎縮。再度近医にて男性ホルモン治療。47歳より海外駐在員として2年間2度勤務治療中断。 | ||
2022(59) | 6 | 去勢手術を受ける。 | |
6 | 完全包茎あり55才時陰茎癌発症、放置進行にて陰部根治術【陰茎睾丸切除即ち去勢】施行 | ||
2023(60) | 夫婦共の希望により卵胞ホルモン開始し再度女性としての道を再出発。 | ||
子会社工場に入社。技術担当職として働く。 | |||
自己紹介又は コメント | 妻は小学校時からの同級生であり私の事情を良く知っており、現在は夫婦というよりむしろ同姓の友達として二人で旅、温泉旅行などを楽しんでいます。週に4日間非常勤嘱託として工場に出ています。男女をあまり意識せずに過ごす事こそ大切でしょう。59歳の手術後はやはり会社より対外的な仕事を避け 転勤をさせられています。経験的に以降やはり男として生きていく事は困難なのでしょうか? 現在は休日外出及び自宅では女装していますが幼少時より慣れておりなれてくればその方が落ち着くようです。現在はホルモン脱落症状に対して私の希望により女性ホルモン剤を使用しています。私のような者は一般競争社会で男として生きていくことには無理があるように思います。しかし私のような技術職なら会社でも充分生きていけます。近隣の一般の方は興味本位で見る向きはありますが、比較的協力的で生きていく上での障害はないように思います。 又近隣の方は子供の頃からの私を知っており抵抗はないようです。例え発達の悪い陰茎、睾丸でも無くなれば初めのうちはかなり股間部が寂しく感じ排尿等に際して不本意ながら女になったのだなと深く感じ入りました。又スカート及び女性用下着は幼少時より慣れていることより抵抗は感じませんでした しかし人生寂しいものを感じます。5歳、7歳時の手術は当時充分な麻酔技術はなく抑制帯で固定され手術を受けた経験及び男性化を促された嫌な思いでは忘れられるものではありません。今となっては初めからずっと女性として過ごしていた方が良かったように思われます。男性社会での50年は逆境の50年であったように思われてなりません。 |