履歴書一覧
履歴書   2002.12.18-15:08:45現在
ふりがなひづきあおい○女
氏 名 緋月葵
生年月日1997年8月25日生 (21歳)
学年学歴・職歴など
1997825日生まれる。生まれた時は男の子で、名前は葵と名付けられる。
1997( 0)8遺伝的に中性体が生まれやすい家系で出生時はどちらの性でもない中性体
1998( 1)8長子であり初孫でもあったので男の子して育てられる事が決定しました
2001( 3)幼14浜松市立葵幼稚園に入園 偶然だが幼稚園の名前と自分と同じなのが妙に嬉しかったです
4浜松葵幼稚園入園。
2004( 6)幼33浜松葵幼稚園卒園。
3小学校に入学 はじめはなかなか友達ができなかったけど段々出来てきて、「あおちゃん」と呼ばれるようになり、今でも古い友達からはそう呼ばれる
小14市立中央小学校入学。
2006( 8)小2小学校入学 この頃女の子の服に憧れ着てみたくなり親に言ってみると「家の中でなら」という条件で許される。早速母とショップに行き服と下着を買う。特に水色のワンピースと真っ赤な可愛いフリルガ付いたスカートが気に入って毎日のように着た あと初めて女の子用のバックにクマさんがプリントされたショーツを穿いた時は嬉しかったけど少し恥ずかしかった。次第に外にも出たくなり「誰も知ってる人がいない所ならいいかな」と考えリュックサックに入れて電車で他の街へ行き、駅のトイレで着替えて街で買い物をするのが楽しくてしょうがなかった。元々女の子っぽいというより、顔も声も女の子だったので何も言われたことはなかった。この時だけ会える女の子の友達がいた
2007(10)小48家族で沖縄に旅行する事になり初めてちゃんと外で女の子の服を着ても良いといわれ、前日の夜は嬉しさのあまり全く眠れず飛行機の中で熟睡し、沖縄に着いた時「飛行機からの景色が見れなかった」と悔しがる。沖縄では現地で買った赤いハイビスカスのアロハシャツとこの旅行の為に買った紺色のミニスカート、海ではこれも初めての女の子用の水着。大人っぽのがいいなと思い、灰色のワンピース。そういえば初めて女湯に入ったのもこの時だったな
12学校で授業中、体が溶けるような感覚に襲われ救急車で運ばれる。そこで医師である父から自分の特異的な体質について初めて教えられ、「数年以内に性を決定し処置を施さないと未分化による疾患で成人前に死亡する確率が高い」と告げられる
2009(11)小5この頃自分の体についてすごく悩む そして自分は『女の子』でいる時が一番落ち着き、幸せを感じている事に気づく。ただひとつ
小65性転換手術を受ける。
2010(12)3市立中央小学校卒業。
3卒業式の次の日から父の病院に入院し
3小学校の卒業式 式の後父からこれから男と女、どちらの性で生きていくのか選択を迫られた。その頃にはもう迷いはなく、「女性として生きたい」とはっきり言った。
中14掛川西中学校入学。
2013(15)中33掛川西中学校卒業。
高14私立帝高校入学。
2016(18)高33私立帝高校卒業。
2017(19)大24慈恵医科大学入学。
2021(23)3慈恵医科大学卒業。

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