第30回 1992年9月27日
【研究発表】「後期江戸語における第三者に対する待遇表現−南北の生世話物を通じて−」
【発表者】永田 高志
【要旨】1.相対敬語は武家階層という支配階級に根ざした敬語体系である。主に、武家が武家に対して用いられており、武家言葉と考えて良いと思われる。また、町人から武家に対しても用いられる事があるが、公式的な場面に用いる公式的共通語の敬語体系である事が分かる。江戸時代においても公式的共通語の必要性はあると思われ、相対敬語は公式的共通語として支配階級である武家階級に支えられた敬語体系である事が分かる。町人同士にも聞き手を配慮した敬語体系が発達しているが、それは相対敬語ではなく絶対敬語である。
2.相対敬語というものは、上下関係よりも、ウチソトという自他の関係を中心に成り立っている。それに対し、絶対敬語というものは話し手より上位の第三者は聞き手との関係に関わらず常に上位に待遇される敬語体系である。身分の上下関係のきびしく規定されていた江戸時代においては絶対敬語の存在が大きな位置を占めていた事を想像させる。
3.自己紹介や使いの口上などの儀式化された用法には相対敬語が使われる。儀式化した用法とは、社会的に決められた公式的な用法であり、このような場面では相対敬語が使われている。この事は、相対敬語が公式的な敬語体系として使われていたことを示す。
4.それでは、相対敬語はいつ頃広がりだし、現代のように相対敬語が絶対敬語を陵駕するようになったのであろうか。明治前期においてもこの江戸後期と敬語体系において大差のないことを示した。そうすると、相対敬語は明治中期以降に一般化したに違いない。標準語教育が大きな力を及ぼしたと考えているが、これからより深く研究すべきだと考えている。また、相対敬語は武家という支配者階級に支えられた公式的共通語ということが分かったが、それではどのようにして相対敬語が武家共通語として認められるようになったのかという問題が残されている。武家以前の支配階級公家の敬語体系が大きな影響を及ぼしたと思うが、この方向からの研究もなされていない。また、本来敬語表現の発展していなかった江戸では当初においては上方敬語から大きな影響を受けた事が想像されるが、上方敬語はどの様な体系を持った敬語であったのであろうか。これらの問題はこれからの研究課題として発展性のあるものだと考える。