第23回 1992年1月19日

【研究発表】「方言における『アル』・『イル』・『オル』の意味分化 ―『オル』待遇化のメカニズム―」

【発表者】井上 文子

【要旨】関西中央部では西日本の他の地域とは異なって、古くから存在動詞としての「イル」があり、「~イル」・「~テイル」もあった。それと並行して「オル」があり、「~オル」・「~テオル」もあった。そして、かつては「~イル」と「~オル」とがアスペクトの進行態を表していた。そこに助詞「テ」を介しての進行態・結果態の表現形式上の統合が起って、本来結果態の語形であった「~テイル」・「~テオル」が進行態に侵入し、その結果、「~イル」・「~テイル」・「~オル」・「~テオル」が進行態を表すことになった。その後、「~イル」は動詞連用形末尾の[i]と「~イル」の[i]という同一母音の連続を避けるということもあって、「~テイル」にとってかわられる形で、消えていった。この時点で進行態を表す形式としては「~テイル」・「~オル」・「~テオル」の3形が存在することになった。
折しもこの段階に存在した敬語形式「(オ)+動詞連用形+アル」に対応して「動詞連用形+オル」が卑語形式として認識されるようになった。この変化が生じた背景には、アスペクト表現が「~テイル」・「~テオル」で表しうるということがあるものと考えられる。つまり、「~オル」が卑語化しても、アスペクト表現を担うことのできる他の形式が併存していたのである。さらに、この時期以前に本動詞「オル」自体に文体的なマイナスニュアンスがあったらしいこともこの変化を促したと考えられる。このように、「オル」を卑語に押しやる複数の動きがあったと推定できるのである。
「動詞連用形+オル」の卑語化の影響を受けて、さらに、「オル」・「~テオル」の文体的意味の変容が起こった。「動詞連用形+テオル」と存在動詞「オル」・アスペクト表現形式「~テオル」の下位待遇化は、それぞれに時代的な時期を異にしていたと考えられるのである。これらの変化に関しても、やはり「イル」・「~テイル」が併存していたことがかかわっていると考えられる。
関西中央部を除く西日本では、アスペクトの進行態と結果態の機能分担は、「動詞連用形+オル」と「動詞連用形+テオル」ではっきりとなされていた。この地域では、敬語形式「動詞連用形+アル」の定着のいかんによらず、「動詞連用形+オル」が卑語化すると進行態のアスペクトが表せなくなるために「動詞連用形+オル」の卑語化は起こらなかった。いわゆる同音衝突が避けられたのである。
一方、進行態に「動詞連用形+テオル」が侵入し、「動詞連用形+オル」が追い出されつつある地域、あるいはその変化が完了し、現在「動詞連用形+テオル」だけでアスペクトが表されるようになった地域では、逆に、卑語形式となった関西中央部での「動詞連用形+オル」を受け入れる素地を持ったわけである。これらの地域では関西中央部で独自に待遇化した「動詞連用形+オル」を受け入れつつあることが認められる。


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