加納朋子「バック・スペース」
彼は自分から逃げ、人間から逃げ、狭苦しい殻の中に引きこもっていた。 八重樫さんは息苦しい都会の職場から逃げ、ふるさとへ帰っていった。 はるちゃんは自分を知っている人たちの視線から、逃げてきた。 そして私もまた、家の中のいびつなトライアングルから逃れ出てきた。 みんななんて弱虫なんだろう。迷いなく、人生の正道を驀進する人間から見たら、私たちなどきっと呆れ果てた軟弱者だ。 だけど……。 生きていればきっと、逃げ出すより他に道がないときだってある。遮二無二突進していって、その結果無惨に激突するよりは、回れ右して逃げ出す方がずっといい。 一度打ち込んだ文字を、バック・スペースキーでなかったことにしたっていいじゃないか? 少しぐらい、後戻りしたっていい。やり直したっていい。まったく別な、新たな文字を打ち込むことだってできる。 そう思っていた方が、人生どんなにかラクだろう。 そうこうするうちに、正しい道、落ち着ける場所が見つかるかもしれないのだから。
by たかし@本岡家/おっぺ 04/06/20 22:01
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