語る「万華鏡」

(永遠の命)

永遠の命(えいえんのいのち)

項目名永遠の命
読みえいえんのいのち
分類特撮

作者
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  • 公的データ
  • ウルトラマンティガ」第45話。(おっぺ)
  • 感想文等
  • 「永遠の生命」をプロットにしたSF作品は数限りなくある。その殆どは、おおむね「限りがあるからこそ、いのちは尊いのだ。永遠の命を得た存在は、不遜になったり、怠惰になったり、とにかく碌でもないことになる。だから、限りあるいのちの存在のままでいよう」みたいな展開だったようだ。「銀河鉄道999」とか、「スペース1999」のエピソードの1つとか、あまり悩まなくても、すぐにいろいろと思い出せる。きっと、スタートレックの中にもあっただろう。
    他のウルトラマンシリーズの中でもあったかもしれないが、印象に残っているのは、このティガのエピソードだ。少し毛色が変わっている。
    このエピソードでは、人類全体に終焉が迫っていることが、まず示唆されている。そして、その終焉を「苦痛のないまま迎えられるように」といわんばかりに、人々を幻想の中に獲り込む植物ギジェラが登場する。地球防衛隊のメンバーたちも次々と自分の快楽の中に虜となり、主人公のダイゴ(ウルトラマンティガ)のみが正気を保っている。
    そんなダイゴに、かつて滅びた古代人の生き残りが告げる。
    「どうせ滅びるなら、苦痛のないほうがいい。ギジェラのエキスで人々は苦しまずに滅びられる。そしてもう1つ、生き残れたものたちにとっては、このエキスは永遠の命を保つ力となる。だから、ギジェラを守らねばならない」。
    植物であるギジェラの力は日没と共に弱まり、人々は正気に返る。が、しかし、ギジェラの与えた「夢」に酔った人々は、そのエキスを求めて、ギジェラのもとに群がり寄る。防衛隊のメンバーたちすら、正気でありながらギジェラを擁護する言動に出る。「ギジェラは、人類への贈り物ではないのか」「ギジェラを倒すことは、全人類を敵に回すことだ」。
    古代人は重ねて言う。「かつてもそうだった。こうして、人類はウルトラマンを必要としなくなり、そしてウルトラマンは地球を去ったのだ。ウルトラマンは、人類の選択に干渉しないからだ」。
    そして、古代人類は滅び、生き残ったひとにぎりがギジェラに寄生するようにして流浪の民として生き延びていた。。。
    しかし、ダイゴは決意する。かつてのウルトラマンと自分とは違う。僕はウルトラマンだが、人間だ。人間として、自分の信じることを選択する。
    ダイゴはウルトラマンティガに返信し、ギジェラに立ち向かう。人々はそんなティガを罵倒し、ギジェラを殺さないよう哀願する。出撃した防衛隊だが、ギジェラ攻撃ができずにただ立ちすくむのみだ。
    だが、苦戦しながらもあきらめないティガの姿に、ようやく防衛隊員たちは彼らの選択をする。
    「次の時代へ行こう!」
    そして、ギジェラは倒され。。。ギジェラの力で行き続けていた古代人たちも死んでしまう。
    だが、古代人は、消滅する前に言葉を残した。「短い命を精一杯生きて、次の時代に受け継ぐ。それはすばらしいことだ」。

    プロットは、他のSF作品たち、特に「スペース1999」の「永遠の命の怪」にそんなに違うところはない。主人公以外のレギュラーキャラクターたちが、主人公の恋人も含めて、「敵」に魅せられ、主人公だけが孤立するところなど、このエピソードとそっくりだ。もっとも、『スペース1999永遠の命の怪」』では、まさに永遠の命そのものに見せられるのであるが、この「スペース1999」では、最終回においてまさしく「夢」によって主人公以外のメンバーが虜となり、主人公だけが、、、という展開が発生する。要するに、プロット自体はそう珍しいものではないということだ。
    けれど、このティガのエピソードは、防衛隊員たち自身の葛藤、主人公の葛藤、宇宙人ではないウルトラマンウルトラマンであり人間である主人公、現実にギジェラによってのみ生かされている古代人、と濃密なパーツが20分程度のドラマに凝縮され、役者たちの演技も素晴らしいもので、したがって何度観ても印象的な作品になっている。これは、「ウルトラセブン」のエピソードとして存在していても違和感のないような、しっかりしたSF作品だ。全くプロットは違うが、感じとして、ウルトラセブンノンマルトの使者」に近いような。。。(おっぺ)
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