項目名 | 主水仕事仕舞いする |
読み | もんどしごとじまいする |
分類 | 必殺シリーズ |
作者 | |
公的データ | |
感想文等 | 最初のうちこそ、おりく・勇次に対しては警戒心を見せていたが、それも秀や加代との仲間感覚が強かった故だろう。秀も加代も、「仕事人」時代から比べてもシビアさをなくし、素を出した付き合いを主水との間に築いてしまった観がある。 それはまるで……仕置人時代のように。 そして、いつしか勇次もまた…… だから、この最終回で主水が腑抜けて見えるのは当然なのだ。親密になってしまった仲間達と、チームに「死」を見るほどの危機がない状態で「足を洗う」ことが可能な解散…… 主水にとっては……理想的なほどの安逸の中にあった「新仕事人」時代ではなかったか。 だから……勇次は別れ際に主水に宣告する。「しあわせにな」。 「八丁堀はいびりやがるし、秀の野郎は冷てえしよ」と加代に愚痴っていた勇次の姿はなくなっている。 もし、この「新仕事人」を、この三味線屋勇次のこうした成長(?)を主軸にした物語にできていたなら、それはまた魅力的なものになっていたのかもしれない。 個人的には、第1話からこの最終話まで変わることのなかった勇次のやたら芝居がかった喋り方は馴染めないものだったのだが……そして、いつしか勇次の得意文句になった「金を取らなきゃただの人殺しだぜ」にも辟易では、あるのだが…… 秀の物語がここでいったん終わり、引き続きは「裏か表か」だったなら、どんなに秀にとってもよかったことただろう。そのキャラクターにとってということでしかないのだが。 こののち、秀はこの最終回での思いはどこへやら、知らぬ顔の半兵衛と組んで何の苦悩もなく仕事をしている姿を見せるのだ…… 自分自身の決断をすべて安直に否定したあの復活は、そして、その後「裏か表か」までの秀の存在意義を全て失わせていたと個人的には思っている。(おっぺ) |