語る「万華鏡」

(群青の夜の羽毛布(映画))

群青の夜の羽毛布(映画)(ぐんじょうのよるのはねもうふ)

項目名群青の夜の羽毛布(映画)
読みぐんじょうのよるのはねもうふ
分類文芸映画

作者
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  • 公的データ
  • 監督: 磯村一路
    原作: 山本文緒
    出演: 本上まなみ 木宏 野波麻帆 藤真利子 小日向文世

    大学生の鉄男は、バイト先のスーパーに客としてやってくる美しい年上の女性さとるに想いを寄せていた。ある日、鉄男は店内で貧血を起こしたさとるを助ける。これをきっかけに2人は付き合うようになる。さとるは病的なほど繊細で人前に出るのを極端に恐れる一方、積極的に鉄男の体を求めてくるなど大胆な一面も見せる複雑な女性だった。さとるの家庭は母と妹の3人暮らしのようで、教師の母は娘たちに恐ろしいほど厳格だった。鉄男はある時、さとるの不安定な精神状態が異常な家庭環境にあると気付き、さとるを自宅から連れ出そうとするのだったが…。(おっぺ)
  • 感想文等
  • 山本文緒の原作を読んだとき、『こんな怖い小説は久しぶりに読んだ!』と思ったものだった。これはもう、ホラーの域に達している。
     この映画を観るとき、果たしてそれがどうなっているか。。。と思った。
     で、思いのほか、原作の空気は出てきていたように思う。ただ、正直言って、せいぜい「原作と変わらない」。となれば、原作にはかなわないということなのだ。。。
     原作と別物になっていても困るのだけれど、、、いや、「時をかける少女」みたいに原作+αでちゃんと創られていればいいのだけれど、原作クラッシュは大変に困る。(「模倣犯」とか「漂流教室」とか。。。)、原作とまるで変わらないのなら、トータルでは原作にかなわない。
     小説には映像にかなわない部分もあるし、逆に、映像には小説にかなわない部分がある。だから、小説作品を映像化する場合は、その「小説にはさすがにこれはできない」というのを見せてほしいと思うのだ。
     これは、コミックのアニメ化の場合は、決して難しいことではない。原作コミックを壊さないためには、余分な動きや余分なセリフを付け加えないで「そのまま」にすればよいのだし、その上で、映像ならではの表現を付加するだけでも、原作を損なうことなく、ちゃんと原作+にできる。「あしたのジョー」などは、そのよい例だと思っている。「じゃりんこチエ」などもそうかな。
     ところが、小説になると、これを「そのまま」映像化するのは非常に難しい。コミックとアニメは、同じ「絵」「映像」カテゴリーだが、小説は全く違うものだ。これを映像にしようというのは、よほど凡庸な小説でなければ難しい。
     その伝で言えば、この「群青の夜の羽毛布」は、原作をきちんと抑えることができていると思う。それについては、特に悪口はない。ただ、プラスアルファにはできていない。そこが、気の毒というか、やはり難しいんだよね、ということなのだ。。。
     「時をかける少女」がよいのは、やはり原作が短編だからなのだと思う。原作をしっかり内包しながら、プラスが描ける。長編の場合は、原作のパーツパーツを取捨選択するところからしなければならない、そこからして、すでに不利すぎるのだ。
     あとは、、、演出、そして役者の魅力とがんばり。そういったもので、カバーする、さらにはプラスにする。それができるかどうかという。。。
     かなり、一方的な物言いなんだけど(^^;)。(おっぺ)
  • この作品の中の主人公「さとる」は、境遇や精神状態などが、私ととてもよく似ていて、とても人事とは思えませんでした。まるで自分を見ている様で、悲しくて、切なかったけれど、何だか少し癒しにもなりました。なので、ものすごく親近感が湧く映画でした。
    (藹)
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