感想文等 | 全体としては、クウガ、アギト、龍騎、555と続く流れの中では、龍騎が一番個人的には心に残るものがあったのだけれど、ただ1点、この555のエピソードの中で、これだけは忘れるわけにはいかないというものがある。
それは、海堂がメインになった、あの「夢のかけら」のエピソードのことだ。 今のところ、555のエピソードのうちで、あの回こそが頂点だったと思っている。
巧と木場がそれぞれの形でそれぞれの対象と対峙し、そして、それぞれの形で夢に対する憧憬を口にする。巧も木場も、自身では「夢はない、夢って何なのか解らない」と言う男たちだ。それが、海堂や真理の言葉から、それを引用しながら、相手に向かって問いつめるように言う。 「知ってるか? 夢を持つと、時々すごく切なくて、時々すごく熱くなる、、、らしい」 らしい、と付くのはギャグではない。自身では夢について語れない巧だから、引用するしかないから、そう言うのだ。他人の言葉、だ。しかし、それに何かしら感じるところがあったから引用する。そして、それを武器にして、相手に向かう。 「夢っていうのは呪いと同じなんだ。途中で挫折したものはずっと呪われたまま……らしい。あなたの罪は……重い」 木場も引用する。同じように、らしい、をつけながら。そして、その他人の言葉の正当性を知っているように、断罪する。「あなたの罪は……重い」。この言葉は、重い。 この場面を見た瞬間、やはりこれは仕置人だろうと思った。巧もまた、「戦うことが罪なら、俺が背負ってやる」という覚悟を決める。「龍騎」の真司がさんざ迷いためらいながらどうしてもたどり着けなかったところだ。だからといって真司が駄目で巧が強いということではない。それは糸井貢と棺桶の錠の違いかもしれないし、比較するのは意味のないことだ。
そして、映画版では、木場が「夢」を語っている。人間とオルフェノクとの共存が俺の夢だ。。。しかし、夢という言葉はその後は「理想」に言い換えられる。まるで、やはり自分には夢はない、持てない、と断ち切ったかのようだ。そして、巧もまた、叫ぶ。「お前の理想は、俺が、受け継ぐ!」。 木場は弱い人間だ。裏切られたと解ったとき、木場は常にその相手を殺さずにはいられない。巧はその反転像かもしれない。巧は裏切られることより、自分が相手を裏切ってしまうことを恐怖している。木場にはそれがない。木場には無邪気な自信があり、だからこその自己中心性がある。
555は、こうした人々の物語、、、らしい。 決着はどのようについていくのか、きちんと見ていかなければならないドラマであるようだ。(おっぺ)
敵方の哀切な表情と咆哮が忘れられない。
映画版にクライマックスを奪われた感じで、今ひとつテレビ版の最終PARTに物足りなさを感じてしまったのだが、最初から観直してみると、巧の言動にいささかしんみりと感じるものがあった。それはつまり。。。(おっぺ)
|