感想文等 | この『講談社ミステリーランド』のシリーズは、自分が子供のころ読んでいた少年少女向けのミステリーを、現代の新本格ミステリ作家が書いてくれるものなんだな、、、と思って、読んでみていた。島田荘司「透明人間の納屋」、殊能将之「子どもの王様」。。。と読んできて、ずいぶん『子供向け』でないなあ、、、とは感じていたのだけれど、それはまあ、島田荘司だし(笑)、殊能将之だし(笑)、と思っていたのだけれど、ちょっと考えが変わってきた。このシリーズは、、、ほんとに、ちゃんと、「子供向け」なのだ。ただし、「子供だまし」的な意味での子供向けじゃない。子どもに解るように、という意味の子供向けじゃない。 読者を「子ども」だと心に据えて、「子どもに読んでほしい。。。」と思って書かれている、そういう意味での「子供向け」なのだ。 これは、新本格ミステリなんていう、今だって結局「子供の物」みたいに扱われかねないものを書いている、そういう大人たちが、「これを子どもに読んでほしい」「これを子どもに感じてほしい」「これを子どもに知っていてほしい」、そういう、身勝手といえば身勝手なのだけれど、そういう願いを持つ権利は持っているはずの大人たちが、そういう強い願いをこめて書いた、「子どもへのメッセージ」としての作品たちなのだ。 ふつう、そういう「児童文学」は、似非ヒューマニズムに溢れていて、教条的で、反撥を誘う。それは、学校で課題図書になったりして、お仕着せの読書感想文のネタにさせられたりする、そうして読書嫌いを生み出すようにできている。けれど、このシリーズは違う。作者たちが、本気で書いている。誤魔化しや、大人の都合でのヒューマニズムや、権威主義的な部分がない。むしろ、学校の先生としては顔を顰めるところが山ほどあるようだ。 この「探偵伯爵と僕」を読み終えた時、やはりこれは、本当に「子どもに読ませたい」というか「読んでもらいたい」本だと思った。ただ、ここに書かれている「願い」をその子どもがもし受けとめて、そのまま貫いて生きていこうとするなら、それはとてもきついものだということも解っている。流されて、妥協して、みんなと一緒に同じように生きていくほうがずっと楽だ。本なんか読まないで、難しいことは政治経済仕事のことに絞って、、、、そのほうが当たり前のこととして受け入れてもらえる。変な奴だ暗い奴だと言われないで済む。付き合いの悪い、自分勝手な奴だと言われないで生きていける。 本当は、本を読んでたって、自分の生き方を貫いていたって、付き合いよく、明るく、仲間たちと楽しく生きていけるんだろう。だけれども、それが楽々できる奴のほうが、本当に多くいるんだろうか。でも、そんな器用な奴が、本当に。。。 少なくとも、「子ども」である限りは、そんなに器用には立ち回れないように思う。。。 けれども、それでもやっぱり、この本を贈ってみたい。そして、どう受け留めてもらえるか、少なくとも、心のどこかに残してもらえるか、そして、、、もし、君がそういう生き方を選ぶならば、エールを。 強制することはできないけれど、ただ、期待したり、望んだりする「権利」だけは、持ち合わせているはずだから。同じように生きて来てしまった、むかし子どもだった大人として。今も器用には全然なれていないのだから。(おっぺ)
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