感想文等 | この、「つれて行って」への第一歩であるエピソードが、続く「番外編」扱いされている「サーニンのメモノート」と並んでとても好きだ。。。
昔、サウンドドラマにして遊んでいたのだけれど、今聴き返しても、この2つに特に力が入っている。今でも再演したくなってしまうほど。
ところで。
今、文庫版を読み返すと、あちこちセリフに誤植(変更や訂正じゃないと思う)があるんだけれど。。。 そもそもこのタイトル、「クリスマスローズ咲く頃」ですよね? 「クリスマスローズの咲く頃」になってるんですけど。。。私の単なる記憶違い? それとも、「の」の入る方が正しくて、訂正になったのかな?(おっぺ)
あ・ふーる、あ・ほー。。。アンジーの。 「品行方正なイメージを崩しとけばね、あとが楽なんだよ!」(笑)。建前だけでそれなりに付き合っていればいい関係の人相手なら、品行方正を貫いたり、あるいはわざと自堕落に振る舞ったりもできるけれど(^^;。 だから、アンジーがジャックたちに「あ・ふーる、あ・ほー」で臨んだのは、アンジーが「永住」の覚悟を決めたからだっただろうと思ったんですが。。。 「フー姉さま、オレは養子の話、受けるつもりだよ」 だからつまり、それはフーちゃんとの「約束」でもあったので。。。(おっぺ)
ここからいよいよ、四人の「新しい生活」が始まる。 ページ数の関係か、開幕しばらくで、唐突のように視点はアンジー中心となり、特にサーニン・マックスはほとんど置き去りのようで、のちに「サーニンのメモノート」と「ブルーカラー」に補填されなければならなかった。が、これはこれで逆にそれぞれについてページをしっかり割けたと言えるかもしれない。 この「クリスマスローズ咲く頃」で、はみだしっ子たちに拮抗する、拮抗できる、重要なメンバーが登場する。この回そのものではまだその「真実」は発露できず、結局「ロングアゴー」も発現してくるのだが…… これはよく思い、書きもするのだが、先に「ロングアゴー」に出会い、読んでいた場合、果たしてこの「クリスマスローズ咲く頃」以降の作品はどう読み感じられていたのだろう。 ジャック、ロナルド、彼らは、作者のうちではどうであったかはともかく、本編中ではあまりその「真実」を発現させてはいないようではあるのだが…… それでもジャックは、「つれて行って」の中で、はみだしっ子たちとまるで同位置のように、枠囲みのモノローグを披瀝しさえする。ロナルドも彼の視点とモノローグで綴られる「ミスター・グレンマイヤーの休日」という番外編と、さらに「楽屋裏」のうちに「ロングアゴー」のひとつを持ち出しさえしている。 この「楽屋裏」での「パムのつわり」のくだりからすれば、作者の中で、少なくともかなり緊密な「ジャックたち側の設定」が存在していたことは確かだろう。 「クリスマスローズ咲く頃」中では、まだジャックは、グレアムの視野の中で、「信じるに足らないおとな」として姿を示してしまっている。まだしもロナルドのほうが「理解ある」向きに見えるかもしれない。ジャックのひとつの「真実」のためには、次の「番外編」たる「サーニンのメモノート」を待たなければならないのだ。 そして、この「クリスマスローズ咲く頃」は、アンジーの物語だ。アンジーと、そしてグレアムの。 クレーマー一家に入り、しばらくして自分が「いい子」を演じているかと感じたアンジーは、一転、「バカ息子」要素を拡張、露出させにかかる。 「サーニンのメモノート」ではグレアムは言っている。「アンジー! しまいにみんなにそれが地だと思われるよ、確かに地ではあるけど…いや…その、つまり一事が全部そうだと」 「クリスマスローズ咲く頃」でアンジーは答えている。「一度素行に関するイメージを地におとしとくとね後が楽なの! いいかい? 1日40本タバコを吸うガキが1日10本に減らしゃほめられるだろう。吸っても誉められる! ねらいはそこなのさ!」 笑って「バカ息子」ぶりを振りまくアンジーだが、また「サーニンのメモノート」でサーニンは述懐する。 「アンジーが斥候みたいだと言ったのはグレアムだった」 「1人まっ先にトットトットと走って行って」 「おーい大丈夫だよ! おいで! おいで! ここまで安全だよ!」 だから、サーニンもマックスもだんだんと自然に振る舞えるようになっていった…… そんな「バカ息子」ぶりが剥がれた時、アンジーは家を飛び出して行かずにはいられない。町を彷徨い酒場で陽気にくだを巻き、酔って自分自身と言い争うアンジーの姿は鮮烈で、いつまでも心に残る。 どんなに成長しても、アンジーはやはり誰よりも傷つきやすいままなのだと…… 誰よりも強く、勇ましく、けれど、やはり傷つきやすいままだ。アンジーは……(おっぺ)
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