語る「万華鏡」

(「黄金色の祈り」の一部削除)

黄金色の祈り(きんいろのいのり)

項目名黄金色の祈り
読みきんいろのいのり
分類ミステリ小説

作者
  • 西澤保彦(おっぺ)
  • 公的データ
  • とっくの昔に忘れてしまった「何か」を思い出したい人へ
    廃校の天井裏から白骨死体となって発見された天才ミュージシャンとアルトサックス。死の背後に見え隠れする「青春の罠」とは?

    他人の目を気にし、人をうらやみ、成功することばかり考えている「僕」は、高校卒業後、アメリカの大学に留学するが、いつしか社会から脱落していく。しかし、人生における一発逆転を狙って、ついに小説家デビュー。かつての級友の死を題材に小説を発表するが…作者の実人生を思わせる、青春ミステリ小説。(おっぺ)
  • 感想文等
  • 表紙カバー絵が「いかにも」という感じだったし、タイトルとの絡みで、どうも宗教がらみの作品なのではないか。。。と思いながら読んだ。
     実際には。。。違う。。。と言いきってもいいものかどうか。。。それは。。。よく、解らない。
     内容からすれば、宗教と関係する部分はわずかに一度ほど出てきたのみで、結局、決して「宗教がらみの作品」としてしまえるものではない。。。にもかかわらず。。。けれど、果たして。。。

     そう逡巡してしまうのは、私にとって「宗教」が「神様信心」ではなくて、どうしてもたとえば三原順はみだしっ子」のグレアムが陥っていったような「自分地獄」との関係で思われてしまう。。。からなのだろう。

     そして、この作品は、間違いなく「それ」。。。いったい、作者の西澤保彦にとってどういう位置にあるのかは解らないが、書かれ方については確かに「それ」。。。「自分地獄」の話であったからだ。

     最初のうちはそんなふうでもなかった。それは。。。単に、この作品の主人公の「僕」がまだそれを自覚していなかったからで。。。その自覚が始まるや、作品は、いきなり小峰元梶龍雄の青春ミステリから離れていってしまう。
     あとは、とめどがない。

     まるで、太宰でも読んでいるように、自虐と自己憐憫とが麻薬のようにやってきてしまう。

     これは、西澤保彦の作品を読んでいると時々不意打ちのようにやってくることが今までにも往々にしてあったことで。。。 けれど、これまでのはいわばオブラート付きだったのだが。。。
     この作品は、オブラートがぼろぼろで、なんの役目も果たしていない。

     オブラートが「ミステリ的部分」だとすると、この作品ほどそれが「じゃま」に思えたものは他にはほとんど知らない。はっきり言って、「事件」などこの作品には余分にしか思えず、いくらそれがあってこそ尚更。。。と主張されても、違和感しか感じられないのだ。

     さらに言えば、この「僕」がミステリ作家になってしまうのは違和感の最たるものだった。どうしても読んでいて「僕」と作者がだぶらされてしまうのだが、それは仕掛けとしても成功したものでもなく、かつまた必然性もさほど感じられない。

     「自分地獄」をもっと突き詰めて、オブラート抜き、仕掛け抜きでいってしまった方がよかっただろう。。。

     。。。。。。。

     『他人につけられることはあっても、他人をつけることは決してない。
      それがオレという人間だ。
      そう思い込んでいた。』

     『他人につけられることはあっても、他人をつけることは決してない――
      そう思い込んだ時点で、既に僕は、つける側に回っていた、とも言える。』

     こういったことたちを、他人事として、吐いていられた頃は幸せで、傲慢で、、、

     そして、実は今でもそうでしかないと知ることは。。。(おっぺ)
  • それまで普通の主人公だったので作家になったときは、なんだかいきなりニュータイプのようだった(笑)
  • もしこの本が誰にも同じ感覚を呼ぶとすれば、本当に私はただのうぬぼれ屋だ。(おっぺ)
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