感想文等 | 「リオの狼男」編の直接の続きになるが、「リオの狼男」は超能力者ライオン・ヘッド対不死身の狼男(なし崩しの)だったのに比べ、こちらは犬神明の「復讐行」が明確になっている。
「リオの狼男」で、暗く陰鬱なものを抱えがちだった犬神明に太陽のような暖かさと柔らかさを与えてくれた娘、エリカ。そのエリカを殺した犯人を捜し出し、報いを与えることが行動原理になった犬神明。
けれど、そんな犬神明の前に現れたのは、エリカの妹、バルバラ。姉を殺したのは犬神明だと信じる彼女は怨みを込めて犬神明を傷つけ、苛み、痛めつける。そんなバルバラに、犬神明は抵抗することも、恨み返すこともできない。エリカの死に責任を感じているからだ。犬神明はいつもそうだ。生来のトラブルメイカーとおのれを悟っている彼は、自分を「死を撒く男」と感じている。
どんなに責め苛まれても逆襲することも怒ることすらもしない犬神明が、ついには彼女を守るために自ら傷つくことを選び、「無罪」であることを知ったとき、バルバラは魂を解放させる。これもまた、「狼男だよ」の頃からですら、犬神明がついに女性に対して慰謝を与えきっている瞬間だ。「狼男だよ」のミラーカも、ケイも、犬神明の「敵」として現れた女性たちですら、どうしても最後には犬神明の魂の前に心を開かざるを得なくなる。これは不思議なことだ。不死身の狼男の本領が、痛快なアクション場面ではなく、心の鎧や棘を溶かし、凍てついた魂を解放するその瞬間にこそ、存在すると、そう読者が思ってしまうのは。そして、それはどう考えても、正しいのだ。
この「人狼地獄篇」では、バルバラが魂の解放を得た。たとえ次の瞬間に死を迎えたとしても、魂が凍てついたまま死んでいくのと、解放の中で暖かく眠っていくのと、決してこれは「死んでしまうのだからおなじこと」とシニカルに切って捨てられることではない。断じてないのだ。
けれど、犬神明の復讐行は終わってはいない。ドナ・フェレイラという女スパイと行動を共にして犯人を追及することになるが、このドナのキャラクターは強烈だ。これまで登場してきた中で最も性格の悪さを感じさせる陰険ぶりで、犬神明の狼としての博愛ぶりを弱みとして握り、第三者の命を盾にとって思うように引き回す。読者としては、エリカ殺しの真犯人よりも、このドナをどうにかしてやりたくなるに違いない。
だが、そのドナこそが、この「人狼地獄篇」の最後のインパクトとなる。 痛快な、とは簡単には言えないアダルト・ウルフガイ・シリーズではあったが、この「人狼地獄篇」のエンディングで、いよいよそれまでになく胸をうたれることになった。
復讐行を終え、けれど当然ながら復讐の快感も爽快さもあるはずもなく、犬神明は苦いものを噛みしめるだけの成果を確認する。あとはドナ・フェレイラを連れて戻るだけだ。 だが、ドナを匿っておいた場所に、彼女の姿はない。野獣に嗅ぎつけられて、獲物として拉致されてしまったのだ。 自業自得だ、せいせいした……それまでのドナの傍若無人で非道な振る舞いをさんざん不快に感じながら読んできた読者はそう感じるに違いない。犬神明もそうに違いない。一番苦しめられてきたのは、犬神明なのだ。
犬神明は……
冷血な殺し屋のドナ。疫病神のドナ。おれを苦しめぬいた……厄介払いにちがいない。どうせもう生きてはいまい。
だが、おれはきっと戻ってくるとドナに約束したのだ。
そして、犬神明は、ドナを救うために、さらに走り出すのだ。
何故、そこまで……と、ほとんど衝撃にも近いほどの、感動を感じないではいられなかった。 自分が愛するもののために命をかける。自分を犠牲にする。誰にでもできることではないが、絶無というわけではない。 だが、自分を軽視し、迫害し、嘲り、利用するだけ利用して苦しませた……そんな相手であるにもかかわらず、 約束した……からという、ただそれだけのために、もう十二分に傷つき、血を流し、疲れきった心を抱えた身であるのに、 誰が責めるわけも、笑うわけでもないのに、 むしろ、ここで「約束」など気に掛けることの方が笑われるだろうに。
「せめて、あんたぐらい生きててほしかったよ、ドナ」 「たのむから、まだ生きててくれ!」
仇敵のような相手なのに、たのむからまだ生きててくれなどと……
どうしてそこまで……
だから、読み続けることになったのだ。狼男、犬神明が、どこまで走り続けていくのかを……(おっぺ)
|