感想文等 | 平井和正が「きまぐれオレンジロード」を書くと、「ボヘミアンガラス・ストリート」ができあがった……という伝説のような現実がある。 乙一が「ジョジョの奇妙な冒険」を書くと、それは一体、何ができあがることになるんだろうか。 結論から言えば、それは紛れもない「ジョジョ」であり、乙一細胞はかなりな程度希釈されていた。……が、自分でこう書いておいてなんだが、……本当にそうだろうか。 出てくる登場人物たちは、乙一が新たに創造した者たちはもとより、ジョジョたちすら、あまり乙一小説の登場人物として違和感がない者たちではなかったか。 映画になった「傷」――これが“スタンド”の能力だったなら、そのまま「ジョジョ」になっているんじゃあないか。 他の、「しあわせは子猫のかたち」とか、「きみにしか聞こえない」とか、ジョジョや“スタンド”の像が出てこないだけで荒木飛呂彦のコミックに描かれる物語につながっているのではないのか。 そもそも乙一のデビュー作「夏と花火と私の死体」など、荒木飛呂彦の短編そのものだろう。 だから――乙一の「ジョジョ」が紛れもなく「ジョジョ」であり、“異質な細胞としての”乙一の部分が少なく感じられたとしても不思議はないのだ。 途中、康一が「僕たちのマンガ」みたいな表現をしていることと、“敵”の能力がどうしてもヘブンズ・ドアーとかぶって感じられることの2点が瑕疵と言えば瑕疵か。(おっぺ)
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