感想文等 | 新元締め六蔵の登場。のちに「何でも屋」で知られるようになる加代の登場、おしまの再登場(いや、名前どころか顔もどう見ても同じ人間なのだが、主水との絡み方を見ると、本当にただの別人らしい・・・惜しい(笑))。左門の武士廃業と奇怪な腰骨折りによる仕事への転換、とマイナーチェンジの多かった「仕事人」がとうとうガラリと布陣を買えてしまったのが、この回。
そうだ。 この「必殺仕事人」は、タイトルこそ同じままだが、この回から全くその本質を違えたものになった――はずだ。
これまでにも、元締鹿蔵の降板、新元締おとわの登場で作品の「カラー」は変わりはした。また、単にカラーだけではなく、鹿蔵の不在のために、中村主水の人生に関して「必殺仕事人」という作品がもたらしただろう「さらに、その先へ」がぼやけてしまったのも多分まちがいのないことだ。 しかし、それでも変わらない部分、中村主水にとって重要なものが唯一そのまま残っていた。これが、この回で失われた。
つまり、これまでになかった、「同じ武士であり、同じように家族を持った」仲間である、畷左門の存在のことだ。 確かに、仕業人時代に、赤井剣之介がいた。剣之介は武士であり、お歌という「家族」を持っていた。剣之介も左門同様、所属する場所を失った武士なのだから、左門をこれまでになかった仲間と言い切るのは間違っているのかもしれない。だがそれでも、剣之介という男は、あくまで「元武士」でしかなくなっていたはずだ。大道芸人としてしか食い扶持を稼ぐ術を持たず、「その……金貸せ」と主水にたかろうとする、そんな剣之介に対して、主水が「同じ武士」という気持ちを持っていたかどうかは疑問になる。特に、仕業人チームについては。 剣之介の末路は、間違いなく後々まで主水の中で尾をひいていた。それもまた確かなことであり、そこに「同じ武士、同じように家族」の部分がなかったとは言えない。だが……実はその点のみについては、仕留人糸井貢と変わりはないのだ。貢もまた、元武士・そして剣之介よりはっきりと家族=妻を持っていたのだから。しかし、貢の場合にもやはり、主水が「同じ武士」という気持ちでの感情を抱いていたとは、まず思われない。
左門については、おそらく全く別なのだ。左門は、所属先こそ失ってはいたものの、紛れもなく武士のまま、主水の前に登場した男だ。剣之介のように武士ではいられなくなった者でも、貢のように武士というよりはインテリゲンチャの学者でも、ない。あるいは、かつての主水が、当然のように自分の在るべき姿として漠然と思っていた「武士」。武を以て戦い、家族を守る男。数々の免許皆伝を持った若き主水、中村家に養子に入る前の主水、仕置人に身を持ち崩す前の主水……「正義なんかねえ。正しいことなんか、この世の中にはねえ。そう思いながら、心のどこかでそれを信じて、十手を握ってきたんだ……」そんな、理想を捨てきれない中村主水。 多くの仲間や家族をも失いながらすり切れていった主水の前に現れた畷左門は、かつての自分と重なっていたに違いない。 そして鹿蔵がいて、秀がいた。左門がかつての武士としての自分なら、秀は仕置人に舞い上がっていた頃の自分であり、鹿蔵はこれから辿るだろう自分の行く末だ。「仕事人」の布陣は、そんな中村主水の過去から未来の集大成だった……
鹿蔵が消え、見据えるべき未来の自分を見失った主水にとって、畷左門は未来の自分を占うべき鏡だったかもしれない。
そして、それがまた失われた。
未来の自分が消え、占うべき自分も消えた。それは――或る意味で主水の未来を如実に示していたのかもしれない。(おっぺ)
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