感想文等 | カバー絵もいい。
「忘れな草」は特に好きな物語の1つだ。ヒロインの葵も、そして楊子も、それぞれ違った意味で鮮烈な印象を残している。 飛鳥や涼子は「罪」を犯すことはなかったが、葵はその手を汚してしまった。楊子もそうだが、物語の構図からすれば、葵が罪を知ってしまったのは印象深い。 これは、あとの「花嫁人形」での昭菜の行為でさらに発展してしまうのだが、葵の罪は昭菜のそれとはまた違っている。昭菜はその瞬間確信犯になっていたが、葵は或る意味自分を甘やかし、まるで無自覚のように犯罪者となってしまった。 飛鳥のような、あるいは楊子のようなヒロインなら、その意志によって罪にも手を染めることがあるかもしれない。しかし、「泣き虫葵」は寧ろ涼子に近いヒロインだ。弱者の側、守られる側であり、まるで正義にくるまれたように柔らかなヒロインだったはずなのだ。 しかし、それが故に、自らをごまかしながら、罪を犯していく。これはつらかった。そして、仇敵のようにみなしながらも、その実いっぱいの愛情を抱かずにいられない楊子を失ってしまうのだ。 葵と楊子の関係性からすれば、逆に“フェニックス”高杉の影が薄くなってしまう。 物語には、主人公とは別に、その物語を支える「大黒柱」があるものだが、「雪の断章」では、祐也と史郎が実質「ワンセット」で物語の柱になっていただろう。「崖の館」では、すでに死んでしまった千波の存在がまさしく柱である。 そして、この「忘れな草」では、楊子こそが物語の柱なのだ。だから、「雪の断章」「忘れな草」は、その柱たちが失われたときに物語は終了する。「崖の館」は逆に、千波が退場することがない故に、「水に描かれた館」「夢館」と続き、ついには千波がヒロインとして再生する。 結局、葵にとっては楊子こそ最も大切な存在だったのではないだろうかと思う。高杉は愛の対象かもしれないが、楊子は葵の一部、というより半身だったのだ。それは例えば、2人の沙霧のように。 楊子は消え、ひょっとしたら、葵の内に還元していったかもしれない。(本岡家)
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