感想文等 | 「ピタゴ」「ディオゲ」に比べて、「アルキ」や「ソクラ」は今ひとつなじみにくいイメージがあって、あまり再読していなかったのだけど、久しぶりに。。。 読んでみて、どうして馴染みにくかったのか、わかったような気がする。。。 「ピタゴ」や「ディオゲ」は、高校生たちがそのまま主軸になって、彼らの心情がストレートに描かれている。「ディオゲ」などは、何しろ主人公の1人称だし。 それに比べて、「アルキ」は、いったい誰に感情移入していいものやら、掴めないままでストーリーが進行していくのだ。最初が、死んだ少女の両親から始まっていくので、これが例えば岡嶋二人「チョコレートゲーム」のように進行していくのならともかく、じきにこの「可哀想な」両親、とりわけ父親の感情移入しがたい部分が露骨に顕れてきて、ひいてしまう。。。少女に恋していたのかと感じられる少年、内藤も、掴み所のないままで感情移入の対象にはなりにくい。結局、後味の悪いままで物語を読み終えてしまうのだ。 この物語は、推理小説としての体裁より、むしろ「アルキの会」を最初からはっきり描いてしまい、やや倒叙的なスタイルで綴った方がより青春小説として鮮やかになったのではないかと思う。柳生や内藤、延命(なんて読むんだろう?)たちの心情をストレートに描き、ただ、柳生の愛の対象をぼかしておくだけでも十分だったのではないだろうか。(もっとも、それで乱歩賞受賞に至ったかとなると、ちょっとどうかとなってしまうけれど。。。) もう1つ、この作品を敬遠しがちになってしまったのは、「ピタゴ」や「ディオゲ」に比べて、生々しい「セックス」について筆が多く費やされており、少年時代の自分にはいささか受けつけにくいものだったから。。。ということもあるような気はする。「ソクラ」についても同じことが言えるかもしれない。 柳生が亀井について語る批判はそのまま今の自分に当てはまるようで胸に刺さる。
推理小説として見たとき、最初の柳生と内藤の会話はおかしいのではないか。。。と思うが、どうだろう。。。?(おっぺ)
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