語る「万華鏡」

(「アルキメデスは手を汚さない」の一部削除)

アルキメデスは手を汚さない(あるきめですはてをよごさない)

項目名アルキメデスは手を汚さない
読みあるきめですはてをよごさない
分類ミステリ小説

作者
  • 小峰元(おっぺ)
  • 公的データ
  • 堕胎手術で死んだ少女が残した謎の言葉“アルキメデス”。’70年代の学園を舞台に、若者の反抗と友情を描く青春推理。(おっぺ)
  • 感想文等
  • ピタゴ」「ディオゲ」に比べて、「アルキ」や「ソクラ」は今ひとつなじみにくいイメージがあって、あまり再読していなかったのだけど、久しぶりに。。。
     読んでみて、どうして馴染みにくかったのか、わかったような気がする。。。
     「ピタゴ」や「ディオゲ」は、高校生たちがそのまま主軸になって、彼らの心情がストレートに描かれている。「ディオゲ」などは、何しろ主人公の1人称だし。
     それに比べて、「アルキ」は、いったい誰に感情移入していいものやら、掴めないままでストーリーが進行していくのだ。最初が、死んだ少女の両親から始まっていくので、これが例えば岡嶋二人チョコレートゲーム」のように進行していくのならともかく、じきにこの「可哀想な」両親、とりわけ父親の感情移入しがたい部分が露骨に顕れてきて、ひいてしまう。。。少女に恋していたのかと感じられる少年、内藤も、掴み所のないままで感情移入の対象にはなりにくい。結局、後味の悪いままで物語を読み終えてしまうのだ。
     この物語は、推理小説としての体裁より、むしろ「アルキの会」を最初からはっきり描いてしまい、やや倒叙的なスタイルで綴った方がより青春小説として鮮やかになったのではないかと思う。生や内藤、延命(なんて読むんだろう?)たちの心情をストレートに描き、ただ、生の愛の対象をぼかしておくだけでも十分だったのではないだろうか。(もっとも、それで乱歩賞受賞に至ったかとなると、ちょっとどうかとなってしまうけれど。。。)
     もう1つ、この作品を敬遠しがちになってしまったのは、「ピタゴ」や「ディオゲ」に比べて、生々しい「セックス」について筆が多く費やされており、少年時代の自分にはいささか受けつけにくいものだったから。。。ということもあるような気はする。「ソクラ」についても同じことが言えるかもしれない。
     生が亀井について語る批判はそのまま今の自分に当てはまるようで胸に刺さる。

     推理小説として見たとき、最初の生と内藤の会話はおかしいのではないか。。。と思うが、どうだろう。。。?(おっぺ)
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