感想文等 | この作品を読む目当ては、ニール・ケアリーではなかった。 かなり前から手に入れていた「歓喜の島」、これを読まずにいたのに訳があった。この「歓喜の島」の主人公のウォルター・ウィザーズは「ウォータースライドをのぼれ」にも登場していて、作品内の時間軸では「歓喜の島」のほうが先であるらしい――からだった。 まず「歓喜の島」で、若きヒーローのウォルター・ウィザーズと親しむ。それから、「ウォータースライドをのぼれ」を読んで、ニール・ケアリーとウォルター・ウィザーズの2大ヒーローの共演を楽しむ。その方がより一層面白く読めるんじゃないか……そう思ったのだ。 そして、それは個人的には「アタリ」だった。 「歓喜の島」ではまだ若く、頭も回り体も動く、文字通りのヒーローだったウォルター・ウィザーズ。「歓喜の島」自体はそれほど印象に残る作品ではなかったが、ウォルター・ウィザーズはちゃんとキャラクターとして頭に残った。 そのあと、文字通りの直後に「ウォータースライドをのぼれ」を読んだ時――ウォルター・ウィザーズはすでに落ちぶれていた。『たいへんな凄腕』であり、ニールの義父のジョー・グレアムが『彼を手本にするように』と言ったという……「歓喜の島」のウォルターは確かにその言葉たちの通りだったはずだ。そのウォルターが…… たぶん、先に「ウォータースライドをのぼれ」から読んでいたのなら、こうした感傷と共に読み進めることはなかっただろう。 私にとっては、この「ウォータースライドをのぼれ」は、ウォルター・ウィザーズの最後の物語だった。ニール・ケアリーの去就も重要ではあったけれど。 できるなら、もし今後ウォルター・ウィザーズの物語が書き継がれることがあるのなら、「歓喜の島」のようなウォルターの輝いていた時期のことではなく、そんなだった彼がどのようにして落ちぶれていったのか、その過程を読ませてほしいと、そう強く思う。 はたして人は、どうして、どのように……それをいつも、知りたいと思ってしまうから――。(おっぺ)
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