感想文等 | こういった話の典型は、「もうひとり」は偽者である、というものだ。 旧スタートレックの「二人のカーク」が善悪それぞれのカークだということで捻ってあったわけだ。このときの2人のカークはどちらも実は本物のカークで、単に善と悪に分裂していた、そして善のみでも悪のみでも不完全だった、という話になっていた。 この「もう一人のウィリアム・ライカー」はさらに進んで、本当に本物の2人のライカーが存在してしまう。これがのちのちヴォイジャーで「二つのヴォイジャー」があり、そしてたぶん前代未聞の展開になり、と繋がったのだろう。 SFドラマならではの設定で、人の深奥の感情が描かれる。これこそSFの効用というものだ。 もうひとりのライカーは、さらにDS9で意外な行動を見せるのだが、TNGの「惑星連邦“ゲリラ部隊”」エンディングでのライカーを見返す時、つい、やはり理解できたつもりになってもしまうのだ……(おっぺ)
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