感想文等 | 第1作「われらはみだしっ子」のローリーもそうだし、この第2作「動物園のオリの中」に登場するレディ・ローズについても、そしてまた他のエピソードに登場する大人たちにも、、、全般に対していつも感じるのは、「いかにも」だなあ……という、ステロ・タイプ感だ。 のちのち「レギュラー枠」という形で出てくる幾人かは別として、ゲストキャラの大人たちのほとんどは、「いかにも」はみだしっ子たちが「期待し、そして失望する」に「ふさわしい」役割とキャラクターを担って見えてくるのだ。 特に初期のエピソードでは、「大人 対 はみだしっ子」という構図をはっきりさせるためにか、本当に大人たちは、はみだしっ子たちが「期待する通りの幻滅」を彼らに提供する…… もちろん、こんな言い方はレディ・ローズに悪い。彼女は彼女として、作品の中で魂を持って生きているのだから。 けれどもやはり、印象的なセリフを幾つか残しながら、それでもこのエピソードを振り返って、レディ・ローズの記憶は薄い…… むしろ、エピソードの中では、サーニンと「鳥さん」の関わり、また、はみだしっ子たち、とりわけグレアムに「提供」された「他人の目」という部分の記憶が強い。「動物園のオリの中」について或る「解答」を見つけるのはマックスだし、なにしろラストの大ゴマもマックスなのだが、不思議とマックスの印象も淡いのは、実はここでマックスが「解答を見つけ」、自己完結してしまっているからかもしれない。ラストの大ゴマはマックスの屈託のない笑顔なのだ。 はみだしっ子シリーズの眼目は、主人公たちの「屈託」にある……と思う。解答という結果そのものではなく、解答を求めて考え、悩み、間違い、たどり着いては捨て去り……という屈託―― だから、「解答」して笑顔で完結したマックスの話になっていった、このエピソードは私にとっては「薄い」のかもしれない。 まだ「山の上」も「消えた夜」も経験していないマックスだから、仕方のないところであるのだが……(おっぺ)
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