感想文等 | 最終回直前まで、うーん、ダメだなダメだなと(笑)思いながら観てきてしまったのは、なんといっても主人公の造形の弱さ、印象のなさだったのだ。。。 周りのライダーたちの造形の方がまだしもで、ギャレン橘、レンゲル睦月などは、それなりにヒーローとしての部分があった。すぐ騙されたり、すぐ落ち込んだり、すぐ悪に心を乗っ取られたり、さんざんなダメダメライダーぶりだったけれども、主人公のブレイド剣崎のようには影が薄くはなかった。「また騙された橘さん」とか「いいかげん目を覚ませ睦月」とか、そういうダメキャラ振りさえ無く、「とにかく変身して戦って、どうやら潜在能力的には一番強いらしい」ライダーとしてしか主人公としての存在意義が見あたらなかった。それが剣崎一真だった。せいぜい「呂律が回らなくて何を言っているか解らない」くらいしか特徴がないのではないかという。。。 これは、思いきって「ボスキャラ」となるだろうはずのカリス始のほうを主人公扱いして、デビルマン式のストーリー展開を狙った方がよかったのではないか、、、とか思ったりした。実際、ストーリーの核としてはカリスの方こそが存在しており、剣崎は何かと「もう1人のジョーカーになってしまう」だの思わせぶりのことだけ言われながらやっぱり目立たない、ただ単に次々投入される新装備でだんだん強くなるという点でのみ主人公の役割を担っている、そんな薄っぺらさをしか見ることが難しかった。 何度か、こんな剣崎に主人公としてのキャラ立てを背負わせようという試みをされていたように思う。初期の頃の、「裏切られてばかりだ」「友達ができなかった」あたりから、「仮面ライダーという仕事をやることを通じて、人間同士の信頼に目覚める」ラインかと思わせもしたが、結局そういう試みの全ては使い捨てられ、立ち消えて、という感じで、ますます剣崎のキャラクターははっきりとしない、茫洋としたものになっていってしまった。 そして、次第に、回を重ねるごとに、剣崎は「至極人柄のいい」「直情だけどお人好しで」「信じやすく疑いやすい」「今泣いたカラスがもう笑った」、かつてのアギト津上翔一(本名にあらず)より軽々しい、こだわりのない、よく考えてから行動しないのでとんでもないことを軽率にやってしまうけど悪意はない、という驚天動地の主人公仮面ライダーとなっていったのだった。 だからといって、子供ではないし、悪戯心もないので、驚天動地とはいっても実際には目立つほどのことはしてこなかった。というより、まず先にアンデッドとか、橘とか睦月とかが事件を起こした(笑)ので、剣崎がやっぱり目立たなかった、というのはある。アンデッドは勿論、橘や、アンデッドに影響された睦月は或る意味「好戦的」で、その故を以て事件を引き起こす火付け役になっていた。そして、剣崎は回を重ねるごとに「受け身」「非戦的」「何かあったら対処するが、後手に回る」「鈍感」となっていったので、どんどんどんどんただの火消し役になっていたのだ。 これは主人公の人選を誤ったのだ、全く印象に残らないまま終わった作品だったな、、、と思いながら、いよいよ最終回を迎えた。 まだ観てはいないが、テレビ版の最終回に先駆けて映画版が公開されており、そこではテレビ版最終回より数年後の内容が描かれていたらしい。剣崎たちライダーがジョーカーとなった相川始を封印して数年後、、、ということだったので、逆に言えばこの最終回の展開は確定していたわけだ。そこでなおさら、最終回だからといって、特に期待するものもなかった。 唯一、そういえば映画版では、仮面ライダーという仕事を終えた剣崎は清掃職員か何かをやっているらしいので、剣崎はつまりそういうキャラクターだったのだな、目立たず、人知れず、地味に、けれど人の役に立つことをやっていく、そういう人間が仮面ライダーをやったならどうなるか、というシリーズだったのかもしれない。それなら納得もいくなあ、、、などと思っていた。派手さもなく、感動させるケレンもなく、剣崎は歴代一地味で目立たない仮面ライダーとして生き、終わっていくんだな、、、 ところが、どうやら、映画版はパラレルワールドだったらしい。。。考えてみれば、これまでの龍騎、555ともそうだったのだから、その可能性は十全にあったのだ。一番テレビ本編と矛盾のないアギトの映画版ですら、細かく言えばリンクしきっていない部分もあった。 だから、映画版が必ずしもテレビ版とつながっていなくてもおかしくはなかったのだ。。。 そして、この最終回に於いて、剣崎一真は、いかにも剣崎一真らしいやり方で、このバトルファイトに決着をつけた。それはもう、本当に、どうしようもなく剣崎一真であって、もっと賢いライダーなら、もっと賢い解決策を見つけたはずだった。こんなとんでもないことを考えるはずはなかった。 自分が人間を捨て、アンデッドになることで、バトルファイトの結末を無効化し、しかも、自分ではなく相川始に「人間の中で生きる」ことを促して、自分自身は人々の中から消えていく。。。 こんなバカな解決策を選ぶ主人公ライダーがどこにいる? 剣崎は、自分をひとりぼっちだと思っていた。。。裏切られてばかりだ、友達なんかいない、、、それは、剣崎自身の性格に問題があったのだろうけれども、、、 これは、最後の最後での「どんでん返し」だ。剣崎という主人公だったからこそ打てた奇策だった。 全体を通して振り返ったとき、この「仮面ライダー剣」自体の評価はやはりそんなに上がるものではない。試行錯誤、迷走、それがこれほど顕著に出てしまって、方向性も行き当たりばったり、せっかくのよいキャラクターを使い捨て、、、ダメポイントは高い。 けれど、ダメポイントの筆頭、主人公剣崎一真が、そのダメさ加減の故に成立させた、とんでもない結末の付け方だけは、こころにのこっていくことだろう。 剣崎は消え、そのおかげで、ラスボスキャラだったはずの相川始はしあわせな日々を過ごしている。この結末が映画版につながることはない。 「戦いは終わったわけではなかった」はずの映画版を打ち消す、「戦いを成立させない」選択を為し得た主人公、仮面ライダー剣、剣崎一真というダメダメライダーは、びっくりさせてくれたトンデモ仮面ライダーとして、記憶に残ることだろう。 これは。。。ホントは、ちゃんとこういうラストを想定して剣崎のキャラを育てていけば、ずっと、ずーっと、いい物語になったんだと思うよ。 作り手は、その辺り考えておいてほしい(^^;。 最終回の驚きは、けれど「終わりよければ」にとりあえずはなっていたかな。。。?(おっぺ)
|