感想文等 | まず、「月の影 影の海」篇。原作を先に読んでいると、どうしても原作にはいない2人やらが「だれ? 何?」になってしまうのだけれども、今回は総集編で観たせいか、テレビで見ていたときほどは気にならなかった。 ほんとに総集編なので、映画のガンダムやヤマトやみたいで、本編を見ていないと解らないところが多く、感動も小さくなるのではないかなと危惧するのだけれども。。。 原作は重苦しい部分がきついので、なかなか再読できないのだけれど、これを観て、また久しぶりに読み返したくなった。そういう効用はある(笑)。(おっぺ)
続いて、「風の海 迷宮の岸」編。 タイトルは「風の海 迷宮の岸」だし、内容もそうなのだけど、出だしが『現代パート』だったので、なんとなく「魔性の子」も内包したかたちでアニメ化してるんだろう。。。と思ってしまったのですが、違いました(笑)。なまじ「魔性の子」を混ぜない方がよかったのでは? 一方、女仙が陽子に過去の出来事を教えているという体裁にしたため、テンポ自体はスムース。が、さらに一方、それがためというべきか、原作と比べてしまえばやはり微妙な内面の表出が損なわれてしまっているのも確か。まあ、これは陽子への解説という形でなくとも、小説の映像化とあればやむを得ないことなのだけれども。 原作と比べて、泰麒がただ弱々しいだけの子供に見えがちなのが気になるところかも。(おっぺ)
原作は非常に重苦しい心理劇の面があって、これをアニメにしても難しいんじゃないかと思っていた。肝心なのは心理面であって、決して妖魔との戦いだの闘争だのではない。そういう「かっこいい」部分ではなくて、ヒロインの「格好悪さ」「みじめさ」そういったところが大切なんだけれど、、、と危ぶみながら観てみました。 なにより、「誰?」という余分なアニメのみのキャラクターがいて、しかもそれが端役ではなく、ヒロインにべったりくっついて十二国にまで来てしまうのだから目が点になりました。たぶん、異世界物なので、視聴者に解りやすく説明するためのキャラクターなのでしょうが、、、これでますますヒロインの心理劇が遠のくではないかと。。。 とりあえず長い目で見守るという感じで観ていくより無いのでしょうが。(おっぺ)
「風の万里 黎明の空」編、さすがに六巻にも及ぶので途中焦れったくなるところもありました。かといって、ヒロイン3人の話をきちんと描いていけば、これくらいの長さになるのは当然のことですし。 途中が焦れ焦れした分、最終パートのカタルシスは大きくなりました。こういう、我慢して、我慢して、パーッと解放する快感ってありますよね(笑)。 しかし、「浅野くん」問題がやっと終わりましたが、彼の存在意義はとうとうなかったような気はします。 (おっぺ)
「東の海神 西の滄海」、これが今のところシリーズの最終になるので、正直、中途半端というところ。もっとも、原作もだけれど(笑)。 ただ、原作ではまだいくつかのエピソードが残っているので、それらもやはり映像化してほしかった。陽子が絡まないからと理由がいわれているようだが、そもそもこの「東の海神 西の滄海」にしても陽子は申し訳程度に出ているのみなので、こういう出方でいいのなら、「図南の翼」などにしても同じようにアニメ化できていいわけだろう。 このアニメで見る限り、斡由は随分卑小な人間にしか見えないので、延王が「もう1人の俺」というほどの人物には、ちょっと。。。(笑) (おっぺ)
「東の海神 西の滄海」については、話が転がりだしてからはあまり気にならないのだが、やはり冒頭などで、王宮内の人間関係が端折られた形になってしまっているのは、「何でこの臣下達は、ここまで暴言を王に対して吐くのだ?」という感じもしてしまう。 原作は小説なので、描写や説明が細やかにやれるというところがある。アニメでこれを全部セリフやナレーションでやると不粋になってしまうから仕方ないのだけれど。 あと、陽子がむりやり出てきている感じなのが、残念。(おっぺ)
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