感想文等 | 初めて何本か「必殺仕掛人」を見たときは、『渋い』『地味だ』とか思っていた。で、生活のために生業として仕掛人をやっている生真面目な正義派の西村左内(林与一)と、ノンシャランなプロの殺し屋の藤枝梅安(緒形拳)という捉え方をしていた。それが、「傑作選」ビデオなるものが出てくれて、第1話を初視聴して「あらっ!」と思ったのは、なんと西村左内、この第1話で出てきたとき、「ただの」辻斬りなのだ。 やむにやまれぬ事情、とかがあるわけでもなく、本当に通りがかりの何の罪もない人を「これが俺の病なのだ」とか勝手なことを言いながら襲っている。ただのサイコな悪役である。 この第1話の西村左内を知っているかいないかは大きい。以後のエピソードでは露悪的な梅安と対照的な前述した通りの「正義派」「理想派」の左内の姿が目立ち、その結果「必殺仕掛人」という作全体が「正義の味方」の物語かと感じられやすいのだ。 オープニング・ナレーションは次のようなものだ。 「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す。 何れも人知れず、仕掛けて仕損じなし。 人呼んで仕掛人。 但しこの稼業、江戸職業づくしには載っていない。」 そして山村聡演じる元締めが「この世にいてはならない」と断じた相手のみを仕掛ける。ああ、「水戸黄門」と構造は変わらないじゃないか、という部分もある。 しかし、正義派としか見えない左内が、元はといえば、寧ろ恨まれ憎まれ「殺されても仕方のない」存在だったと知って見ていると何だかスリリングだ。口ではずいぶん立派なことを言っているが、恨みを晴らされても仕方のない人間はお前自身じゃないか……いったいこの「ツケ」は、どう落とし前がくることになるのだろう…… が、しかし結局最後まで、この左内の悪行からくるしっぺ返しはやってこなかった。最終回において、仕掛人稼業のことが妻女に露見して精神的な苦境に立たされるというのはあるが、左内自身が自らの罪業を裁かれる立場になるという話はなかった。西村左内はとうとう最後まで「正義派」で終わったのだ。 こうして、人殺しであることの「ツケ」は、必殺仕掛人においては寧ろあまり触れられずに終わった。仕掛人は最後はどうせ自分が殺されて地獄に落ちる、そういう諦念はある。つまり、それだけプロということだろう。左内という新参者だけがそうした生き方に倫理的な疑念を抱く……そう、これが「左内は実はただの辻斬り」であることとの大矛盾であり、だから忘れてしまわれるしかなかった初期設定なのだ。そして、とはいえ「なかったこと」にはできない以上、左内は倫理的疑念をあまり大っぴらに展開はできない。左内自身が矛盾した存在なのだから。 だから、「仕掛人」は自分たちの「罪」については、「そんなことに葛藤したりしない」プロフェッショナルたちの物語として幕を閉じた。一本一本のエピソードの渋さは後のシリーズにも比類はないが、葛藤や悩みのない、完成された主人公たちの物語では、ストーリーやプロットの面白さはともかく、キャラクターのドラマとしては物足りない場合も出てくる。そもそも存在自体が矛盾した西村左内では不徹底だったのだ。 そこで、シリーズ第2作「必殺仕置人」は、プロではなくアマチュアたちの物語になったのかもしれない。そして少しずつ、「必殺」は「ツケを払う」ドラマになっていったのだ……(おっぺ)
|