感想文等 | この「窓のとおく」は、物語自体としては印象深いほうではない。ただ、タイトルにもなっている『窓のとおく』という感じ方――これは、ずっといつも、何かを、誰かを、思うとき、心のどこかでシグナルを発してくる、そんなふうに存在し続けていた。 アンジーが言う。 「オレはいやなんだよ グレアムが笑ってて… それでオレが思い込んじまうのがさ」 ――つまりさ…… オレは窓の中にいてさ…… 知ってると…… 窓のむこうの奴を 知ってると…… 奴は幸福そうに笑ってるのだろうと 思い込んで 笑顔があると思いこんで―― 泣き顔かも知れないとは思わなくて 「オレはそんな風にザワッとするのがたまらなくいやななんだ」 『遠く』でなくても。どんなに『近く』にいても。どんなに望んでも。どうしても人は人と隔てられている。 その隔ては壁ではなくて、開くことはできる「窓」ではあるのかもしれない。けれど、窓を開ける場所まではあまりにも遠くの…… そして、窓を開けたとしても、相手の窓はその時に開いているのだろうか。いつもは開いているはずの窓が、そのときに限って閉ざされているかもしれない。 手を伸ばしても届かない窓かもしれない。 はみだしっ子の四人も、窓から互いを見、窓を開け、手を伸ばしているはずだ。でも、それでも、指先さえ触れ合えないときはある…… そして、ましてや、たいていの窓の遠くでは、いつでも顔は向こう側にある。 笑っているのだろうと…… 泣き顔などとは思いもしないで……(おっぺ)
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