宗教と政治

 例年の如く終戦記念日に措ける、靖國参拝騒動が終えた。
其処で国会や言論界でも、度々話題に成る政教分離を考えたい。言うまでも
無く大戰時に於ける国家神道が、我が国の戦争に多大な影響を齎したと言う
反省から、政治と宗教の分離を謳ったものだ。
 宗教と政治の関わりだが、海外では宗教を前面に押し出した政党は多い。
宗教が政治に進出したと言った方が的確な組織も多く、憲法よりも宗教倫理
や教義が優先される国家すらある。政治から宗教色を排除すると言えば、共
産圏諸国が想起されるのだが・・・

 社会主義国は宗教に冷たく、宗教家や信徒は冷遇若しくは虐待すら受けて
来た。しかしロシアを例にするとこの国は「正教ロシア」で有名であり、東
方正教の流れを汲む宗教国であった。1917年に帝政ロシアが崩壊した後
は宗教が弾圧されて来たのだが、それでも教会堂の破壊や徹底弾圧は出来は
しなかったし、考えもしなかっただろう。
 支那でも同様に宗教は軽んぜられたが、ここには何と「国営カトリック」
と言う、何とも説明困難な「宗教」が存在する。政府が認めた「官方教会」
がそれで、片やローマ教皇が認める正統派教会が「地下教会」と呼ばれる。
悪名高かったチャウシェスクの国は「ルーマニア聖教」で知られ、大体が宗
教が政治や体制に影響力を持たぬ国を探すのが困難だ。

 我が国での政教分離を観ると、国会では主に公明党攻撃の手段であった時
期、本筋から離れた不毛議論が繰り返された。靖國問題では毎回恒例の様に
「公人、私人」論争が繰り返され、本当に不思議な思いをさせられた。
別の場で既述したが御参りするのならば、参拝対象を第一に考えるべきであ
る。それなのに「行くぞ、行ったぞ」では、何の為に参拝するのか分からな
くなって仕舞う。御参りは身罷った故人に対するもの、他人に見せたり集票
の具にするのは罰当たりです。

 掲示板でも申しましたが、思想と宗教と政治の三位一体で国が在るのでは
ないかと思います。それ等が微妙に絡み合い、調和を保ち合って国を創るの
だと考えて居ます。その何れかを欠いても真っ当な体制には成り得ません。
政教分離も靖國問題や往事の国家神道も、冷静且つ真摯に論じ合ってこそよ
り良い国創りが出来ると思います。
0年8月16日