禁教令について

 有名な「切支丹禁教令」ですが、フェリペ号と云う外国船が日本沿岸で難破し
た際に、乗組員が恫喝的発言をしたのが発端と言われています。しかし、実際
には次の樣な事であったとされます。

 渡来船が持ち込む異国の品々は垂涎の的で、誰もが交易や寄港を渇望したもの
です。当時の我が国には、難破船の積み荷を沿岸国が没収出来ると云う、定め
を設けてありました。
 或る時、嵐を避けて湾内に停泊していた外国船に目を付けて、その積み荷を収
奪する事を考えて「寄港して難を逃れよ」と強要しました。船の乘り組員は何等
困る事が無く寄港を断ったのですが、領主が聞き入れずに何度も使いを寄越し
たのです。終いには千艘近くの小船に周囲を取り囲まれ、危険を感じた外国船
は渋々寄港に応じました。

 そうすると今度は水先案内と称して、故意に浅瀬の航行を強要しました。
結果として座礁した船を目掛けて凄まじい略奪が始まり、乗組員は身包み剥が
れた上に浜辺に急造の牢屋に押し込まれました。船長は時の政府に交渉をしま
したが、その過程で日本側通訳の誤訳が原因で大誤解を生じました。自分達の
立場を説明する為に世界地図を示したのですが、それを次の様に誤訳したので
す。
 「我々は他国を侵略するに当たり、先ず宣教師を送り込んで現地人を基督教徒
にする。その後に軍隊が攻め込んで、その国を乗っ取るのだ。この国もその樣
な目に遭わせるぞ!」と云う樣に通訳をした訳です。
実際にこの様な恫喝はせず、穏やかな説明であったと伝えられていますが、誤
訳の為に大誤解を生じたのです。是を以って禁教令に発展した、と云うのが正
史とされます。