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本稿は、拙論文の「我が国におけるエネルギー供給システムのグランドデザイン」(http://soejima.to/kensho/005.html)の補完版として書くものである。 同論文において、大規模集中発電所およびそこからの大送電線網の存在がエネルギー資源を収奪し、環境負荷も大きいことを示した。 そして、それらを克服できる地域完結型のエネルギー供給システムが、昨今の技術のブレークスルーにより、間近に可能な状況となってきているものの、その一次エネルギー供給システム(国内幹線パイプライン)の建設においては、国家のサポートが必要とされることは併せて述べた。 そして、その構想においては大規模集中発電所および大送電線網は、漸次歴史から退場していくべきものであることを間接的に示唆した積りである。 しかしながら、現在の分散型電源は、実は家庭やオフイスの全ての電力を賄うものではなく、足らない電力は、電力会社からバックアップしてもらわなければならない仕組みになっている。これは、分散型電源のコストやその電力としての品質から起因するやむをえない現時点でのシステムなのである。従って、分散型電源といえども電力会社からの系統電源なくしては存立できないものなのである。 そこで、業界の議論でポピュラーなものは、分散型電源と系統電源の適切な組み合わせを考えていこうというもので、悪く言えば波風が立たない研究が活発になされている。しかし一般的に受ける感覚としては、分散型電源といえども中途半端な存在だなあといったものであろう。 これでは、地域が中央から独立する契機は薄く、リバータリアニズムの実践的課題としては問題がある。 本稿は、前論文で看過したこの点について、その解決策を紹介し、前論文をより包括的な提言にまとめあげることを意図するものである。 ところで、本稿を書くきっかけとなったのは、リバータリアニズム掲示板において、根尾知史さんが、先般の北米の大停電に関してのリバータリアンButler Shaffer氏の興味深い見解を紹介されているのを見たからである。まずその主張の中心的なポイントを引用したい。 (転載はじめ) (大停電で)闇に包まれたアメリカ東部とカナダの家々や企業群こそが、まさにこの事実についての証人だ。ベストに設定されたはずの計画と予備計画もだめにしてしまうような、予想外の欠陥(故障)は常にあるのものだ。 今日の問題の原因を「もう二度と起こらないよう修理する」ことができるというのは、集合(産)主義的・技術官僚主義的な思想への信仰から生まれる幻想である。 明日は明日でまた別のいたずら好きな妖精(pixies)や災いの種がこっそりと動いて、最高度にソシアル・エンジニアリングされたはずの(政府)計画を、ひっくり返してやろうと待ち構えているだろう。 あなたは、チャレンジャー爆発の後に吟じられた、中央計画担当者たちの呪文(mantra)を思い出せるだろうか。そして、もっと最近に起きたコロンビアの大災害の後にも、同じ儀式が吟誦されたのを覚えているだろうか。 里屋和彦です。 日本で見られる言説は、自由化が性急に進められた結果だというポピュラーな見解を同工異曲であれやこれやと展開されるものが大半といってよい。(http://www.asahi.com/money/topics/TKY200308190063.html参照) 電力産業が集合(産)主義的というのは、大発電所、大送電網に慣れた我々日本人からすると、無意識的に、当然のような感覚を持っている。さらに、電力に限らないが、公共財のようなものに対して提起される問題については、その解決をお上に求めようとする体質を、日本人は歴史的に築き上げてきた。 従って、「社会・経済システムなどの複雑系機構は予想不可能であり、したがって計画したり、管理・監督することはできないのだ」などということを思いつく余地が我々にはないのである。こういった彼我の違いからしても、日本にはリバータリアニズムの土壌が全くないことが判る。ゆえに副島先生が日本リバータリアニズム運動の端緒を開かれたのだと思う。 閑話休題。 (転載はじめ) 今でも既存のシステムから電気を得ているという現状がある一方で、個々人が将来の大停電の際に、自分たちだけで代替電力源を供給できるという手法も現に存在しているのだ。そうしたシステムの一つに、自家発電機がある。多くの会社や病院、さらには住宅所有者がこれを使用している。 こうした自家製(私有化、プライベートprivate)による代替は、中央集中型サービスに対抗して、その外部機関への人々の依存状態を打開するためにも有効な方法である。同時に、一人ひとりが、自分たちの生活の支配権を握るための様々な方法があることを、より幅広い人々に認識させるためにも素晴らしい方法である。 里屋和彦です。 この流れは日本においても同様で、最近の大きな動きとして、住友グループの日本総合研究所が、大電力会社に対抗するコンソーシアムを立ち上げた。 余談であるが、住友グループは、原子力産業の中核である原子炉製造の利権に入り込めていない。かろうじて原子力燃料の製造の一翼を担っていたのみである。 それが、茨城県東海村で臨界事故を起こした「ジェーシーオー(JCO)東海事業所」であり、その100%親会社が住友グループの雄であった住友金属鉱山だったのである。JCOの事故の遠因の一つとして、同グループがこの業界で孤立していることがあるとも当時言われた。 こういった状況下での反動か、同グループは新エネルギーへの関与は、最も積極的である。そして、その機動力の中心にいるのが日本総合研究所である。同社の「創発戦略センター」所長の井熊均氏は、著名であり電力自由化に関して多くの著書を出している。 しかし、何といっても同社の大スター?は飯田哲也氏であり、政府の審議会等で反原子力の急先鋒として勇名をはせている。また、電力自由化論議において最もラジカルな言論を吐き続けている人である。(私は好きになれないが)http://www.jri.co.jp/consul/column/data/175-iida.html 話を元に戻す。 (引用はじめ) 集合住宅などで複数の燃料電池を設置し電力融通を行う仕組み作りを進め、ビジネスモデルとして構築し特許を申請、コンソーシアム参加企業で特許権の権利を保有する。http://www.gas-enenews.co.jp/topics/bkn/030813.html 関連記事を追記する。 (引用はじめ) DESSコンソーシアムでは、負荷の大きさがほぼ同レベルで電源の規格化が容易であり、且つ、エネルギーの相互のバックアップがやりやすいと考えられる集合住宅をテストベッドとしたビジネスモデルの検討からスタートします。 里屋和彦です。 (引用はじめ) 分散型電源ネットワークで狭い需要地内を結ぶこうした構想は「マイクログリッド」方式と呼ばれ,RPS法(電氣事業者による新エネルギー電氣等の利用に関する特別措置法)の課題解決や、将来の電源構成の検討を先取りした実験として注目される。 関連記事を追記する。 (引用はじめ) アメリカでは、America Encorp社が、同様のコンセプトの「バーチャルパワープラント」のプロジェクトが進められている。 (引用はじめ) 里屋和彦です。 家庭用厨房、空調、給湯機器においては、効率の良いものがでてくるとあっというまに古い機器を駆逐していった。これらのスピードは、宣伝の効果を上回る早さであった。従って、今般の地域完結型の分散電源ネットワークシステムの構想は、技術的課題を克服できるならば、今後の飛躍的な普及が期待できるものである。 最後にButler Shaffer氏の下記の言は、リバータリアニズムを信奉するしないに拘わらず、我々は強く受け止めるべきである。 (転載はじめ)
2003/09/07(Sun) No.01
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