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拙論文の「わが国におけるエネルギー供給システムのグランドデザイン」の要諦は、”一次エネルギーと二次エネルギーの適切な峻別が社会全体としてなされるべき”ということであり、その具体的な絵姿として、一次エネルギーの分配手段である国土幹線パイプラインの整備を訴えたものである。 しかし、論文で指摘したように、日本においては、電力 vs ガスという誤った問題設定をしているために、(それには歴史的経緯があるのであるが)本来、各々の物理的性質に基づくあるべき姿に収束しないのである。 余談であるが、事務屋vs 技術屋という日本人お得意の対立図式も、そもそも人間の本来持っている能力を無理やり、二分法にて分解してしまうために、会社の中においても、おおよそ不毛な緊張関係を強いられるだけでなく、お互いの意思疎通が困難になりかねない。 会社の中の仕事であれば、どんな技術的な分野でも会社の意思決定に連なるわけで、役職が上がるほど、いわゆる事務系の能力が果敢に発揮されねばならないのである。逆に技術に無知な事務屋が、意思決定を行えるわけがない。えいやで意思決定して、責任は俺が取るとか息巻くだけでは価値がない。 不毛で無意味なこの対立関係を設定しているがために、不断の憎悪を生み続けているのが、日本の会社社会である。 電力 vs ガスに話を戻すと、英国は、強制的な外科手術によって、1980年代後半より発送電分離を行ったものの、1990年代半ばには、その非効率性がされてきており、今日では公平に見ても、発送電分離という制度設計は、世界的に見ても誤りであったとの断が下されつつあるといってよい。 また、同国ではガス会社であるブリティッシュガスも強制分割が施されたが、ガスは物理的性質が電力と異なるためであろう、電力の分割ほどにはその弊害は指摘されていないのである(この点は別稿にて触れたい)。 その、英国において、今年4月22日に英国の送電会社であるナショナル・グリッド・カンパニーとパイプライン会社であるトランスコの合併が公表された。米国ではポピュラーであるこの企業形態は、今後世界の潮流になっていくであろう。 以前にも、述べたように、エネルギー問題は、資源の制約から環境の制約へと問題の中心が完全に移ってしまった。なかんずく環境問題は、畢竟、二酸化炭素問題である。二酸化炭素削減は、ダイレクトにエネルギー使用制限へとつながる。 今日の日本における大規模集中型発電システムに依拠する多大電力会社体制は、いかに効率化しようと、分散型発電システム(系統電源なしと仮定)より、環境負荷が大きく、資源の収奪、地球温暖化の進展に歯止めをかけることができないのである。 英米の轍を踏むことなく、拙論文で述べた、国内ガス幹線パイプライン網+分散型発電システムへの早急なシフトが望まれるところである。
2002/06/30(Sun) No.01
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