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里屋和彦の『エネルギー学講座』



(2002/01)

Vol.22 エネルギー産業の自由化(10)
カリフォルニア電力危機(3)〜最大手電力会社倒産

カリフォルニアの電力危機は続き、そして大恐慌以来の電力会社倒産へ至ることになる。

2000年夏のカリフォルニアの電力危機は、一過性のものではなかった。同年12月の寒波が訪れると、また電力の卸売価格が高騰し始めた(下図参照)。2000年12月11日の週には、カリフォルニア州三大電力会社の一つであるSCE社は、瞬間的に1.4$/kWhの電力(平常時の約50倍)を卸市場から購入せざるを得ない事態となった。

カリフォルニア電力危機(3)で述べたように、電力会社は、CPUC(カリフォルニア州公益委員会)の求めに応じ、発電設備の売却を行ったため、垂直統合の電力事業(日本の電力会社のような)から、中規模の発電事業とCal- PXから電力を買い付けてエンドユーザーに供給する配電業を営む「新生の電力会社」に変わっている(下図参照)。


(北海道新聞ホームページより)

なお、電力価格の急激な上昇により、三大電力会社から、簿価を30%近く上回る値段で発電設備を購入し、カリフォリニア州の電力市場に参入したあのエンロン、ダイナジーなどの発電業者は、一気に投資を回収していた。

カリフォルニア州はステージ3・エマージェンシー(Stage 3 Emergency)が発令され、州を代表する電力会社3社が節電措置を取ったために、数千件の家庭や企業が暗闇に追いやられてしまった。

※Stage 3 Emergencyは、電力危機に対する警告措置としては最も重い。

バランスが完全に崩壊した(供給力が不足した)カリフォルニア州の電力市場を立て直すために、2000年12月13日に前エネルギー省長官のビル・リチャードはカリフォルニア州外の発電会社に債務に苦しむ電力会社へ電力を販売するよう緊急通達を出した。

電力会社は、規制機関のCPUCに、小売り価格の値上げを認可するよう迫ると共に、FERC(連邦エネルギー委員会)に対し、卸売り価格に現実的な上限を課すよう求めた。これを受けCPUCは2001年1月にPG&EとSCEに7〜15%の緊急値上げを認めたが、FERCは上限設定に難色を示した。

新たな資金の貸し入れができなくなった3社の自力による債務返済はほぼ不可能になった。それに代わり、デービス知事は州政府のDepartment of Water Resources (DWR)が発電会社から電力を買い取り、供給するという公的資金による救済案に2001年1月に署名した。

しかし、予算として認められた4億ドルを投入しても数日分の電力を購入できるに過ぎないという危機的状況で、2月にデービス知事は州が発電会社と10年間に渡る長期契約を結び、その財源を総額4百億ドルともいわれる電力債の発行により確保するという買電計画案に署名した。

これは、経営危機に陥った電力大手2社(PG&E、SCE)に代わり、州政府が比較的安い価格で電力を長期購入し、それを2社に転売することで安定供給の確保を狙うものであった。

同時にデービス知事と州政府は、発電会社が意図的に供給を減らし市場操作を行った疑いがあるとし調査を開始した。また、CPUCは2月に前例のない最高%の料金値上げを認可した。

こうした応急措置にも関わらず、2001年4月6日、ついにPG&E社は倒産した。もう少し詳しく言うと、日本でいう会社更生法適用申請にあたるChapter 11 of the U.S. Bankruptcy Code(連邦破産法第11条)の適用申請に踏み切った。負債総額は90億ドル(約1兆円)で公共事業の倒産は、1930年代の大恐慌以来のことだった。

しかし、PG&Eが倒産したといっても、会社更正法により運営方法は変わるものの、消費者へのサービスは続けられており、市場の独占状態は続いている。

また、倒産したのは州の規制を受ける「PG&E」で、親会社の「PG&E コーポレーション」はぴんぴんしている。子会社の「PG&E」は、電力危機前に得た多額な利益を親会社にすでに移しており、PG&Eファミリー全体としては、いまだ健在である。

結局、損をしたのは、消費者であるカリフォルニアの人々となる。高い電力料金を払った挙げ句、停電の仕打ち。PG&Eは、電力不足を強調するためにわざと停電を起こした、という市民団体の主張もあった。

それはともかく、度重なる計画停電と大手電力会社の倒産は、広く世界中に驚きを与えた。資本主義のメッカである米国においても、大恐慌の記憶が薄れた今日、大手の電力会社が倒産するとは全く予想されていなかったのである。

カリフォルニア州の電力の規制改革は、CPUCや、送電事業などの規制権を手にしたFERCなど規制官庁と、電力会社やそのコンサルタント(ハーバード大学やMITなど東部のエネルギー問題の権威とされる学者達)などの専門家集団で設計されたものであった。このいわばベストアンドブライテスト達が練り上げた電力規制改革が、何故かくも脆かったのか?

世界中の学者で、カリフォルニアの電力危機を事前に予測したものは一人もいない(だろう)。結局、危機でわかったことは、電力という商品は、一言でいって自由化に馴染みにくく、自由化がスムーズに行われるための制度設計は(あるとしても)、複雑で分かりにくそうということであった。

複雑な制度設計でないと、電力の自由化は機能しないのか?複雑な制度設計がある地域で機能したとしても、どこの国でも通じる普遍性があるのか?

我々日本人の疑問を察知しつつも、米国は圧力を緩めない。

(引用はじめ)
ハンツマン米通商代表部(USTR)次席代表は、2002年1月24日、東京都内で講演し、米エネルギー大手エンロンの経営破たんについて「(同社が崩壊しても)価格高騰や停電なども起きていない。米国のエネルギー取引システムがオープンで透明であることを示すものだ」と述べ、影響は限定的との見解を強調した。

また、エンロンの日本撤退が「日本の電力市場改革に影響を与えるべきではない」とし、改革の方向性と日程を日本が示すことを求めた。

その上で「電力は重要な商品で、ハンバーガーと違う。供給の信頼性は大切であり、米国でもバランスある改革をしている」とも語り、日本で高まりつつある米国式電力自由化への不安感払拭に努めた。(2001.1.30 ガスエネルギー新聞)
(引用おわり)

電力自由化は、イギリスや欧州大陸ではある程度成功しているし、アメリカでもペンシルベニア州やテキサス州などではカリフォルニアほどの失敗はしておらず、世界全体としてみれば、電力自由化の合否判定は下せない。カリフォルニア州以外の自由化地域では、まだ電力が供給不足が露呈していないから、自由化が破綻していないだけであるとも考えられる。

次回から、様々にいわれているこの電力危機の原因を分析する。
(つづく)

2002/01/31(Thu) No.01

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