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里屋和彦の『エネルギー学講座』



(2001/11)

Vol.20 エネルギー産業の自由化(8)
カリフォルニア電力危機(1)〜電力危機前夜

カリフォルニア電力危機の分析の前にニュースを一つ。

グローバリスト派エンロンの急速な凋落が起こっている。そして、下記の日本市場撤退の動きは、エネルギー業界にとり僥倖?かもしれないが、日本が仮面を被った共産主義国家であることの証左というべきものである。日本国内における自由化の是非に関しての喧々諤々の議論はともかく、少なくとも外からは自由化するつもりがないと思われているのである。

(引用はじめ)
米エネルギー大手のエンロンは日本市場から撤退する方向で検討を開始した。デリバティブ取引の失敗で経営が悪化し、同業のダイナジーに吸収合併されることが決まったが、ダイナジーは欧米での事業に注力する方針を示していた。需要が低迷し、新規参入の余地が限定的な日本市場は採算性が薄いと判断した模様だ。(日経2001.11.22)
(引用おわり)

本題に入る。
エネルギー産業の自由化と銘打っているが、どうしても電力の話題が世上多いので、事例としてカリフォルニアの電力危機を通して、自由化の問題について考えていきたい。

まずは、自由化以前から、危機がおこるまでの状況についてスケッチしておきたい。

電力事業の自由化以前の州内では、投資家所有による巨大な下記の公共電力企業が電力市場をほぼ独占していた。

  • Pacific Gas & Electric(北部・中部カリフォルニア一帯)

  • Southern California Edison(ロサンゼルス周辺)

  • San Diego Gas & Electric(サンディエゴ一帯)
  • これら大手3社が州内で発電所を所有、独自の送電網を通して各顧客の元まで配電して料金を徴収するという、発電から配電までのすべてのプロセスを独占的に取り仕切ってきた。発・送・配電の垂直統合といわれる方式である。

    この3社の他に、電力を卸す小規模の独立系発電業者(IPP: Independent Power Producer)が数多く存在していたが、基本的な業界の様相は、現在の日本の電力業界と極めて似かよったものであった。

    公共料金はCalifornia Public Utilities Commission(CPUC : 加州公益事業委員会)によって監視されていたものの、競合他社がいないため競争の原理は働かなかった。

    1996年の電力の自由化政策導入により、州政府の卸料金規制は撤廃された。発電所からCal-ISOを通して送電された電気は、新たに設立されたCalifornia Power Exchange (Cal- PX)と名付けられた電力マーケットで取引されるようになった。また、大手3社は、発電施設の売却を州政府より迫られ、自社発電のいくつかを手放した。高圧線などの送電施設の所有、運営は認められたが、管理は新たに発足したCalifornia Independent System Operator(Cal-ISO)に移行された。これら一連の動きのことをアンバンドリング(unbundling:束ねていたものをほどく)という。日本語では、発・送・配電分離といわれているものである。

    結局、大手三社は、垂直統合の電力事業から、中規模の発電事業とCal- PXから電力を買い付けてエンドユーザーに供給する配電業を営む「新生の電力会社」に変わったのである。

    大きな枠組みをまとめると、

  • 発電施設を保有する発電会社(大手三社やIPP)にて発電

  • Cal- PXで値段が決定

  • Cal-ISOにより送電

  • 電力会社(大手三社や新たな小売業者)が各家庭へ電気を配電
  • という仕組みになった(下図参照)。
    ※電力取引所Cal- PXを通さないで、直接、電力会社や小売会社と顧客が相対取引を行うことも認められた。


    (NEDOのHPより)ESP:小売業者、UDC:配電業者を指す。

    (つづく)

    2001/11/25(Sun) No.01

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