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里屋和彦の『エネルギー学講座』



(2001/01)

エネルギー学講座 Vol.10
エネルギー需要について(まとめ)

これまでにみたように、エネルギーの需要は、社会的に疎外されている運動である。よって、その需要を抑えようとして、会議を開いたりして、“皆でできることから始めましょう”といったことによっては、実現できない。

その系として、省エネルギーはできない(思うように効果がでないの意)。注釈すれば、一国全体としては、省エネルギーはできないと割り切って理解した方がよいということである。できないからいつもスローガンに挙がるのである。

省エネルギーの概念をまとめる。

1. 電気・ガスのスイッチをこまめに切るとか、見ていないテレビを消すといった、日常生活でのエネルギーの無駄遣いをやめること、すなわち節約を意味する場合。

2. 自動車の燃費(単位燃料当たりの走行距離)向上や、家電器具の電気の使用効率を高めたり、あるいは産業部門において製品を製造する場合のエネルギー消費原単位(製品単位当たりのエネルギー消費量)を低下させるといったエネルギー使用の合理化、効率化の追求を意味する場合

3. 石油危機のようなエネルギー危機の事態に対応するために、緊急避難的にエネルギー消費を節約することを意味する場合。これは短期的な供給量の不足に対しエネルギー消費の節減を図るものである。

4. 産業構造をエネルギー構造をエネルギー多消費的な重化学工業からエネルギー寡消費型への転換を図ったり、大量輸送機関の利用の拡大を促進したり、廃資源(古紙、アルミ缶等)のリサイクル・システムを確立するなど、経済・社会システムを変えることによって、社会全体のエネルギー節減を意味する場合。

(石油エネルギーの要点解説 日本エネルギー経済研究所編 東洋経済新報社 200〜202頁)

人口に膾炙しているのは、1と2である。1は大事なことだが、国民一般(国全体)としては、冒頭に述べたようにあまり成果がないものである。二酸化炭素削減の政府案においてもあまり期待されていない。サマータイム導入の政府による運動も、国民に省エネおよび温暖化防止に対する意識の覚醒のために行われているのであって、効果はそれ程期待されていない。

それで、2に期待が集まるのであるが、以下にみるように、これも思うに任せないところがある。

(引用はじめ)
エネルギー使用効率が大となると、環境面で(排出物と資源製造の減少により)プラスになるかどうかは議論のあるところだ。ある重要な研究グループは、効率がよくなれば、資源使用量は減らないで逆に増えると考えている。この考え方は古く、1865年に石炭産業を調査した人が“燃料を経済的に使用することは消費量を抑えることになるという考えは間違いであり、実際は逆である(The Coal Questions, Stanely Jevons 1985)。と主張している。
(引用おわり)
(ジャン・マレー 世界エネルギー会議事務総長 ENERGY No.255 38頁(社)日本動力協会)

単純にいえば、安くなれば使ってしまうということである。卑近な例で考えてみても、例えば、インターネットの接続料が下がれば、使う時間も長くなるのは自然の理である。

そして、省エネ機器の普及は、とりもなおさず省エネ産業の振興であり、そのことは生産現場ではエネルギーの使用を増やすものであり、GDPを押し上げるのである。

省エネは決め手がなく、最も効果があるのは残念なことに経済不況である。近年、我が国において、二酸化炭素排出量が伸びていないのは、政策でなく、ひとえに不況によるものである。

省エネが意味がないという積りは毛頭ないが、思うように効果は上がらないのに、ついつい省エネの議論に与してしまいがちなのである。ごまかされないように私自身は自戒している。

2001/01/29(Mon) No.01

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