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里屋和彦の『エネルギー学講座』



(2000/09)

エネルギー学講座 Vol.2
知識層に求められる科学技術的知見

1.知識層は科学技術的知見の吸収に努める必要がある。

2.科学技術は、信仰となりビッグブラザーに転化してしまう危険性がある。

温暖化の科学的側面に触れる前に、前回の続きを若干述べつつ、科学技術的知見の吸収の意義について意見を述べる。

前回述べたように、地球温暖化問題は、政治経済そして、各人のライフスタイル等余りにも広範な領域を巻き込むことが予想される。
地球温暖化のリスクは二つに分かれる。

@地球温暖化そのものがもたらすリスク、例えば海面の上昇等による被害

A地球温暖化対策がもたらすリスク、例えば経済成長率制限による国力の衰退

前回述べたのは、Aのリスクである。

何度も言うが、1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)は、その利害関係の複雑さ、会議の進行の混迷さ、結論の猶予が許されない苛酷さ、後世に与える影響、もう何をとってもべらぼうな会議であった。ロンドン軍縮会議よりも重要で、さしずめウイーン会議並み(?)といったところか。小室先生風にいえば、京都会議の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないということになる。

どの程度なら温暖化は防げるかといったような科学的な議論をベースとした会議では全くなく、削減率の数値に、NGO、マスメディアそして世界の世論が注視していた。通常の会議というものは、元々用意されている場合を除けば、その場で新しい具体的な数値が決まるといったことは稀である。2000年(を含む前後5年間の平均)のCO2削減率が、1990年度に対し、EU:8%、アメリカ:7%、日本:6%などという数字は、会議が始まる前には誰一人として予想してはいなかった。

事前の予想よりも大きな数字で削減率が決まったのは、Aのリスクがあるために急速に政治問題化したためである。温暖化に対する科学者の悲観論をベースとした国際世論のうねりに政治が屈したと形容してもいいだろう。

京都議定書の取り決めが国際世論のバブルでないか今後見極めが必要であるが、そのためには、地球温暖化問題そのものの知見が多くの人々に共有され、そして知識層の受け皿にしっかりと受け止められることが必要であろう。

ところが、日本の知識層における科学技術的知見のレベルは心許ないものがある。
小室直樹先生は、かって「危機の構造」の第8章「私の新戦争論」の中で興味深い例に言及されている。要約して引用する。

(要約引用はじめ)
戦前、日本の巡洋艦古鷹の出現に対し、英国議会において直ちに、政府に対する質問が発せられた。曰く、古鷹は、わずか7100トンしかないのに、何故、英国の9000トンクラスの巡洋艦より強力なのか、日本はこんな小さな艦に8インチの砲を搭載することに成功しているのに、何故英国巡洋艦は7.5インチ砲しか搭載できないのか、などという、かなり専門的な質問が矢継ぎ早に発せられたと。アメリカにおいても、軍部も議会もジャーナリズムも一体となって、専門的な討論を繰りひろげた。

日本をみれば、ロンドン軍縮会議における重巡と潜水艦の比率が不満だとして浜口首相は暗殺されかけた。しかし、これなど逆に日本の議会やジャーナリズムが国防問題について皮相浅薄な理解しかもたなかったことの証左である。対米比率の希望7割が6割に抑えられたという理由で大騒ぎしたが、肝心の重巡の戦力に関しては、議会やジャーナリズムにおける議論はなく無関心だった。

そして、この行動様式は、戦後も脈々として生き続け、安保騒動でも安保の条文を読んだことがない人達が狂熱的に大騒ぎをした。
(要約引用おわり)

地球温暖化問題、原子力発電問題等に対する日本国民のアプローチをみるなら、いまだにこの行動様式をひきずっていることが看取される。

あの痛ましいJCOの臨界事故で、議会は、ジャーナリズムは、国民は、そして私は何を汲み取っただろうか。単純に放射能は恐ろしいということを増幅させただけで、一体、臨界とは?、シーベルトとは?という基礎から、核燃料サイクルの是非までマスメディアでの報道は誠に心許ない(なお、国会においては幸い以前よりずっと議論されるようになってきた。このことは別途論じる)。

副島先生が言われているように、庶民は忙しく、自分の仕事以外のことを進んで勉強するというようなことはないだろう。いくら放射能の講義を行っても、忙しいものにとっては聞かされるほうが気の毒というものである。庶民は各々が信頼する身の回りの知識人にそういう判断は委ねるものである。

しかし、知識層を自認するなら社会的問題となるような大きな問題の科学技術的知見の吸収は欠かせない。何もオタクのようになって科学技術の知識を身につける必要はない。その目的は

その科学もしくは技術的知見の概要の把握と、それが社会的に持つ相対的な価値、および未来の社会に与える影響の予想を考えること。

を目指せばよい。

科学技術的知見は余りにも膨大で、人の一生の間で知る知識は、科学者でも僅かなものであろう。しかし、社会的にクリティカルな問題は多くの人に共有されてディベートされるべきである。勿論、門外漢の人にとってはゼロベースからの知の習得はできないが、各人がもてるイメージ力で努力するなら国民の民度は上がり、知識層は底上げされひいては国家戦略に対する理解が進むと考える。

温暖化問題の浮上は、アメリカのグローバリズムに対するEUの反撃といった側面もある。しかし、その影響力はそんな両者共々を巻き込む巨大なものである。そのため、個々人が知的武装をもって立ち向かわないと、そもそも真摯な科学的課題であったものが、その広範な影響力に目をつけられることによって、予想もしないビッグブラザー(独裁的な支配者)に乗っ取られる危険性もある。リバータリアン的見地からは、この危険性は決して見逃せない。

以上鏤々述べてきたが、実は私自身、その科学技術的知見の吸収が思うにまかせなく、日頃自分に問いかけていることを開陳したまでのことである。振り返ってみても、1970年以降の時代から、見も回りのことがブラックボックスばかりになってきたように思う。そして、社会は巨大な技術の要塞と化しているかのようである。この巨大さに多くの人は無力感に襲われ、従属し信仰するしかないと感じるかもしれない。実はビッグブラザーになる恐れがあるのは、この科学技術信仰という空気(ニューマ)そのものかもしれない。チャップリンのモダンタイムズここにありといったところか。

石油代替エネルギーの開発が意外にも遅々として進んでいないように感じるのは、実はこの信仰によるところが大きい。エネルギー開発は、他の技術のように飛躍的な進歩が困難な領域なのである(このことは改めて論じる)。

次回、本論に戻る。

2000/09/28(Thu) No.01

エネルギー学講座 Vol.1
二酸化炭素(CO2)排出抑制は国際社会におけるダモクレスの剣

1.CO2排出抑制は単なる環境対策でなく、すぐれて政治的な課題である。

2.地球温暖化防止のための行動は、国家主権のみならず世界覇権を揺るがすことになる。

エネルギー学講座と銘打っているのに、何故、二酸化炭素なのかと訝る向きもあるかもしれない。しかし、序章の最後でも強調したように、エネルギー問題で、今世界で一番重要なのは、エネルギー資源の枯渇ではなく、地球環境からエネルギーが厳しく制約されていくことである。このことは、世界的に共有されている考えであり、石油、ガス、原子力問わず、近年のエネルギーに関する国際会議では、地球環境とりわけ地球温暖化問題は避けて通れない問題となっている。以下、多少抽象的になるが、二酸化炭素(CO2)排出抑制が国際社会にもたらすインパクトについて述べていく。

CO2等が実際に地球温暖化の原因となっているかについては、様々な反論がなされている。これは、温暖化説を採っている学者達自身がその不確定性を認めている。それが故にゲーム理論でいうミニマムリグレット(最小の後悔)方策と称して、温暖化の真偽は未確定でも今の内に対策を施しておけば、温暖化がはっきり証明・認識された時点でも、後悔は最小に押さえられるだろうとして国際社会を納得させているのである。また、省エネルギーは誰にとっても不利にならない?ことからノーリグレット方策といわれている。

CO2と温暖化の因果関係の証明は、根本的な問題であるので今後も議論の的となるであろうが、しかしいえることは、近い将来にその議論の決着がつく見通しはあまりなさそうということである。ということは、今後、国際社会は、CO2排出規制を進める事が規定の路線であるので、以下に述べるように重大な政治問題に巻き込まれざるをえないのである。それは国家の主権を制限し、世界覇権をもその傘下に収めるかもしれないということである。

1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)の会議場では、日本政府関係者の間で「この会議はロンドン軍縮会議に匹敵する会議である」と囁かれていた。紆余曲折の結果、会議の議定書では、2000年でのCO2削減率(対1990年)をEU:8%、アメリカ:7%、日本:6%となった。なるほど、軍艦の建造量を決めたロンドン会議を彷彿させるものがあるが、しかしこれは、CO2の制限→エネルギー消費の制限→GDPの制限=経済成長率の制限のロジックを考えれば、事実上エネルギー使用に制限を設けるものであり、各国の経済成長に制限を設けることを意味する。ひいては産業構造、エネルギー供給、ライフスタイルなどの広範な変革を求めるものである。

ひるがえって考えるに、資本主義の本質は学校で習ったように拡大再生産にある。常に利潤を求めて資本は投下され続けられなければならない。まさに、自転車操業であるが、もともとそういうものが資本主義である。経済成長がないということは、資本主義が病気の状態であるといえるだろう。そして、それが何を生み出すか。他でもない、失業である。

今日、平成大不況の克服に政府が躍起になっているのを観れば、マイナス成長がいかに政府にとって喫緊の課題であるか看取できるだろう。とりわけ、失業問題は、社会不安を掻き立てる最大のファクターであることはナチスドイツの例を持ち出すまでもなく歴史が証明している。この意味で、日本政府が平成10年財政改革法を凍結して、財政投入の経済対策を優先したことは凡人には批判できない。普通の総理大臣?では、社会不安を押さえるためにそういう方向に押し込まれていくであろう。

資本主義体制をとっているどの国の政府も、自分の国の経済成長を続けなければならない宿命を負っているのである。従って、CO2の排出を抑制することは資本主義の宿命上、簡単にはできないのである。もちろん省エネルギーに努めて、当面のエネルギー消費を押さえることは大事であり、その有用性を否定するものではないが、長いスパンで考えてみれば、経済成長を前提とすれば根本的な施策とはなり得ない。

先進国において、このCO2排出規制に最も冷淡な対応をしているのが他ならぬアメリカである。京都会議(COP3)における、アメリカの自動車業界を中心とした猛烈なロビーイングは、各種報道が行われ記憶に新しい。彼らは単に資本主義の申し子としての本能で、自分たちの利益を犯すものは許さないといったような無邪気な発想も手伝って、ああいう行動にでている側面もあるが、その根っこには、彼らのよって立つ資本主義のイデオロギーがあり、それ自体は相当に強固なものである。

アメリカは現代資本主義のメッカとして、経済成長に特に敏感である。小室先生がよく言及されているように経済学における古典派のいくたびかの復活を思えば、経済成長がコントロールされることということなぞは途方もないことであろう。それは、網をかけられるような形での主権の制限といえるだろう。

しかし、そういった業界の代表といったような人々とは次元を異にして、世界覇権国アメリカ(具体的にいえば、副島先生がいわれるところのアメリカによる世界管理政策を進める民主・共和にまたがるグローバリスト派とよばれる人達)は、地球温暖化防止条約がもたらす先に述べたような重大な意味に本能的に気付いたのである。ソ連はいなくなったし、フセインもコントロール下においていると思っていたら、この考えてもみなかったCO2排出規制がアメリカの世界覇権を脅かすのではないかと。

彼らは、一気に巻き返すべく排出権取引という市場主義を利用した手段を持ち出してきた。誠に彼らならでは発想である。しかしこの施策も長い目でみれば、CO2排出の国際的な平滑化を促すだけで悪くいえば、び縫策ともいえる。森林によるCO2吸収は、エネルギー消費の削減とは別次元で本質的な対応策であるが、残念ながらその吸収率に関して国際的な定説がなく、今後もアメリカを中心として相当の議論を呼びそうである。

以上のようにCO2排出規制が国際社会に与えるインパクトは甚大であり、2010年以降になってくれば、毎年の地球温暖化防止条約締約国会議(COP)に関して国際社会の関心が集中してこよう。

なお、余談だが、地球温暖化問題が、世界的な枠組みの中でしか解決し得ない事をポジティブに考えると、この温暖化防止条約は21世紀の国際法の発展に大きく寄与することが期待される。小室先生によれば国際法は低開発段階にある。国際法の発展の基本は、できるだけ多くの人が共通の認識土台を持つことにつきる。残念ながら、現在の国際社会は、今世紀に世界大戦を二度も経験しながら未だ猜疑心は横行しており、紛争の巷の状態を脱していない。このことは別途論じる。

地球温暖化により降水量や降水時期が変化し農作物に大きな影響があるとか、南極の氷が解けて海面が上昇するとかいった問題も重大であるが、その対策としてのCO2排出規制は、上記でみたように21世紀の人類の存在に重大な脅威を突きつけている。いわば国際社会におけるダモクレスの剣である。21世紀、人類は、自然科学と社会科学を総動員して、地球温暖化問題と格闘することになりそうである。

次回は、温暖化の仕組みの科学的側面に触れる。なお、原油高騰の問題も近々にとりあげたい。

2000/09/26(Tue) No.01

エネルギー学講座 序章
元オイルジェオロジストで、現在国際政治経済コメンテータの藤原肇氏はかって、現代世界で貨幣の裏付けとなっているものは、金(ゴールド)ではなく、石油だと喝破した。私は学生の頃、藤原肇氏の一連の本によって、地上最強の石油ビジネスを中核としたエネルギー産業こそが世界を動かしている推進力と感じ、小室直樹先生の見方をベースに世界を見渡してきた。余談だが、その両氏がかって対談本を出されたときは狂喜乱舞したものである。

しかし昨今では、ヘッジファンド等による文字どおり桁違いのお金が世界を駆け巡っており、実物経済のチャンピオンであったエネルギー産業の巨大さでも霞んでみえる程である。しかし、実物経済があってこそのマネー経済であろうが、マネー経済あっての実物経済ではないだろう。カスピ海沿岸の国家を巻き込んだエネルギー争奪戦をみれば今もなお、そして将来においてもエネルギー産業の動向を無視しては国際社会を理解できないと思う。なお、この国家のエネルギー確保に関する問題は、エネルギーセキュリティという分野で枠組みされている。

さらに、近年では環境問題なかんずく地球温暖化問題がクローズアップされてきた。この問題の影響力は、実は未曾有のものである。世にある問題の決してワンノブゼムではなく、国際社会の多くの分野を巻き込んでいく巨大なうねりに必ずなっていく。

毎年行われている地球温暖化防止条約締約国会議(COP)の注目度は、G8を上回るほどになってくるかもしれない。その理由は、地球温暖化の対策であるCO2の排出規制が、国際政治経済の下部構造を規定してしまうからである。よってこの問題に対する世界の議論のフロントラインを追うなら、世界の行く末を最も効率的に鳥瞰できると考える。

多くのエネルギー問題で、今世界で一番重要なのは、エネルギー資源の枯渇ではなく、地球環境からエネルギーが厳しく制約されていくことである。

次回は、この温暖化問題の重要な側面を問題提起したい。なお、連載においては、内容があちこちに飛ぶかもしれないが、各回においては、常に結論をまず述べることから始めたいと思う。

2000/09/22(Fri) No.01

エネルギー学講座 まえがき
今回よりエネルギー学講座を連載していきます。

連載の目的は

日本の国家戦略を考えるための、重要な要素の一つであるエネルギーについて、その知識の啓蒙に資すること。

です。

私は、40才の会社員です。実務では、エネルギー問題をどう考えるかということとは程遠い事をやっておりますが、エネルギーは、政治・経済及び安全保障の根幹と考え、学生の頃から人一倍この問題に関心を持ち、約20年ほど勉強してきました。2年前に福岡国際問題研究所というシンクタンクを設立し、エネルギー問題を集中的に取り扱っています。

私が意識しているのは、小室直樹先生の学問習得法である“その分野で最もオーソドクシーといわれているテキストを繰り返し学習する”ということです。表題のエネルギー学というものは実はまだなく、現在その構築がなされている最中です。よって、エネルギーにまつわる多くの分野の標準的な議論を極力紹介することによってその代替をしたく考えています。皆様は忙しいので、余計な脇道に迷わせることなく直観を最大限に利用しながら理解していただくように努めたいと思います。

大風呂敷を広げましたが、もとより私自身、エネルギー関連の多くの分野に通暁している訳ではありません。私は効率的な迂回生産を心掛けながら、知的な皆様と共に勉強しつつ、今後の連載をしていければと思っています。

なお連載においては、できるだけ平易な表現で、定期的に技術解説をいれるよう心掛けたいと思っています。

このサイトにこられる知的な方々に、少しでも刺激を与えられたら私にとって望外の喜びです。

読者の皆様の忌憚なきご叱正を期待致します。


2000/09/18(Mon) No.01

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