それは、私にとっては最後の”賭け”だった。
別に約束をした訳じゃない。
だから、私がここで待っている事を祐一は知らないし、来てくれなかったとしても、祐一を責める筋合い
では無い事くらい、重々承知している。
それでも、今日という日を覚えていてくれたのなら、きっと祐一は会いに来てくれるはず。
だから、私はここで待とうと思った。
家じゃない。 私達の想い出の場所で。
私達が、楽しい想い出を紡いだ、この懐かしい想い出の場所で。
題目 『 名雪の誕生日 - 最後のチャンス - 』
(・・・祐一、早く来てくれないかな。)
時計を見たら、7時を少し過ぎていた。
と言う事は、ここに来てから、1時間くらい経つのかな?
祐一は来てくれないんじゃないかって、弱気な心が芽生えるけれど、頭をブンブン振って払い除ける。
以前、私は、7年ぶりに再会する祐一を、雪の中4時間待たせた実績と経験がある。
それに比べたら、まだまだ・・・。
去年の私の誕生日、一年経った今でさえ思い出したくもない、忌まわしき出来事。
口にするのもおぞましきそれは、祐一が泥酔しての過ちであって、祐一に二心があったとは考えていない。
それでも、酔って間違えたたとは言え、私以外の女性を抱いただなんて許せなかった。
しかも、それが、私の親友である香里だっただなんて・・・。
祐一は、いっぱい、いっぱい謝ってくれたけど、私は、どうしても2人を許す事が出来なかった。
それからの数ヶ月は、祐一とケンカをして過ごした。
ホントは仲良くしたいのに、お話したいのに、何も無かったあの頃に戻りたいのに・・・またケンカして。
そのうち、私達は、お互いを避けるようになった。 顔を会わせる事も、言葉を交わす事も少なくなった。
少し時間と距離を置いて暮らした方が良いんじゃないかって、お母さんに勧められて、祐一は家を出て行った。
家を出て行くその日、祐一は振り返らなかったし、私は祐一に追い縋る事はなかった。
でも、不思議と涙も出なかったし、悲しいとも思わなかった。
それは、祐一が、『じゃ、またな。』って、言ってくれたから。
祐一は、再び会うまでの、小さな約束をしてくれたから。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
見事な彫刻が施されたクラツシック調の時計が、7回目の鐘を鳴らした。
”場違い”って言葉は、俺みたいな一般人が、こんな豪華な部屋に通された時に使うんだろうなぁと、素直に
実感できるほど、この部屋の中にある調度品の全てが、微細な彫刻と美麗な色彩に覆われており、
骨董とかアンティークに興味も縁もない俺でさえ、価値の高さ、くらいは窺える、そんな逸品で溢れていた。
食事に通されたダイニングルームも、出された食事も、ここが別世界で有る事を痛感させられたが、この瀟洒
な客室の、ほぼ中央に置かれた応接セットに座らされた俺は、よく見知った女性を目の前にして、戸惑いと
共に、この上もな<居心地の悪さを感じていた。
「・・・はぁ~。」
「ほぇ? それで、36回目の溜息ですよ、祐一さん。」
向いのソファに座った佐祐理さんが、天使のような笑顔を向けながら呟いた。
「あ、ごめん。」
「佐祐理と一緒じゃ、つまらないですか? 祐一さん。」
「そんな事ないよ。 佐祐理さんこそ、俺みたいなのといて・・・。」
「ほぇ? 佐祐理は、祐一さんと一緒だったら、何時でも楽しいですよ。」
満面の笑みってやつかな。
佐祐理さんは昔っから変わらない。
何時でも、どんな時でも、笑顔は絶やさない。
何度この笑顔に救われたか知らないが、今は佐祐理さんの笑顔が、眩しすぎて見られない。
「・・・そう言えぱさ、今はイギリスに住んでいるんだよね。日本には休暇か何かで?」
高校を卒業した佐祐理さんは、舞と一緒にイギリスに留学して、そのまま、あちらの会社に就職したと聞い
ていた。
「いいえ。 所用が在りましたので帰国したんですが、舞が待ってますから、明日の夜には帰ります。」
「え? 所用って・・・良いの? 俺なんかと一緒に居て?」
「えぇ。 もともと大した用事ではありませんし・・・。」
一瞬、佐祐理さんの表情が曇ったような気がした。
佐祐理さんが、ウソをついているって直感的に感じた。
だいたい、大した用事じゃ無いのに、地球の裏側から飛んで来て、とんぼ返りするはずが無い。
「祐一さん。 そんな事より、佐祐理の部屋でゆっくりしませんか?」
佐祐理さんは、両手を目の前でパチンっと叩きながらそう言った。
そして、俺の答えを聞く前に、テーブルに置かれた鈴をチリーンと鳴らして、背の高い扉の側に控えていた
メイドさんを呼ぶと、自室にお茶とお菓子を運ぶように言った。
そして、大事な話があるからと、誰も部屋には通さない様にと、念を押していた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
祐一の事をこれほど愛していなけれぱ、祐一の事を嫌いになれれぱ、どんなに楽なんだろう?
私を裏切り、私を傷つけた祐一を恨む事が出来たならば、これほど悩まずに済んだのに・・・。
祐一の事、嫌いになって、恨む事さえ出来れぱ・・・。
いっそ…。
ううん。 それはダメ。 それだけは絶対にダメ。
時間と距離をとったこの半年、祐一を想わずにいた事なんて無かった。
今、何をしてるんだろう? 御飯食べたかな? ちゃんと睡眠とってるかな?
お酒飲み過ぎて無いかな? 風邪ひいてないかな?
・・・私の事、ちょっとくらい、思い出していてくれてるかな?
不思議と、一つ屋根の下に暮らしていた時よりも、祐一の事を考える時間が増えた気がする。
そして、祐一と言葉を交わさなくても、顔を見なくても、触れられなくても、抱締められなくても、祐一の事を
考えるだけで、幸せな気持で満たされていく。
そう、私達が恋人になる前の、あの淡い想いを抱いていた頃の、私の気持ちに戻る事が出来た。
だから、今日、祐一が駆けつけてくれたなら・・・。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「・・・って事なんです。」
俺は、佐祐理さんに今までの事を全てぶちまけた。
何の脚色も無く、事実のみを淡々と。
そして、全てを語った後で、佐祐理さんに教えを請うた。
これからどうしたら良いかって。
佐祐理さんは、暫く考えていたようだったけど、徐に立ち上がると入り口に近付き、ドアの鍵をガチャって閉めた。
「・・・佐祐理さん?」
俺が、不思議顔で見詰める中、佐祐理さんは席に戻って一言。
「佐祐理も、お仲間に入れて頂けませんか?」
「はい?」
もしかして、ロンドン辺りで流行っているジョークか、って思わないでも無かったが、取り合えず、佐祐理さんの
言っている意味が判らなかった。
「佐祐理がイギリスに行っている間に、そんな事があったんですね。」
いぶかしむ俺を尻目に、さっさと一人で話を進める佐祐理さん。
ま、それはそれで良いんだけどね。
佐祐理さんは、トレードマークとも言える、大きな髪飾りと髪を束ねていたゴムをとると、軽くウェーブのかかった
髪をぱさっと下ろした。
「・・・佐祐理さん?」
「ほぇ? どうしたんですか、祐一さん。」
真っ白なカーディガンを脱ぎ、ブラウスのボタンを外しながら佐祐理さんが軽く返事をしてくれた。
その間にも、両手のボタンを外し、胸元のボタンを一つ、また一つと外していく。
「・・・。(ごくっ)」
俺は生唾を飲み込んだ。
ボタンが一つ外れる度に、襟元から見え隠れする品の良い下着や、まるで白磁の様な椅麗な肌に、俺の目は
釘付けになり、身動き一つ出来なくなっていた。
全てのボタンを外し終えた佐祐理さんは、ゆっくりと、ブラウスを脱ぐと、軽く畳んでソファにかけた。
俺の眼前には、頬を赤らめ、にこりと微笑んだ佐祐理さんが、下着姿で佇んでいる。
「あまり見詰めないで下さいませ。 佐祐理、恥かしいです。」
「あ、えっと・・・ごめん・・・でも。」
「あはは。 佐祐理なら大丈夫ですよ。」
何が可笑しいのか、何が大丈夫なのかさっぱり判らなかった。
ただ判る事は、俺の目の前には、透き通るような白い肌を露出させた佐祐理さんが、身を捩り、黒いロングスカート
のフォックを外し、白い柔肌を、ほんのりとピンク色に上気させた佐祐理さんが、ブラとお揃いの、美麗なシルクの
ショーツ姿を、惜しげも無く俺に披露しているって事だ。
「動かないで下さいね、祐一さん。」
佐祐理さんは、静々と俺に近づくと、俺の足元に膝付き、そして、顔を埋めた。
「さ、佐祐理さん、ちょ、ちょっと。 そんな・・・ちょっと止めて下さい! チャックなんて下ろさな・・・うぅ・・・。」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「・・・・うぅ・・・うぅ・・・・ご、ごめんなさい、佐祐理さん。 お、俺・・・。」
「良いんですよ、祐一さん。 佐祐理、気にしてませんから。」
頭を抱えたままベットの端に座る俺に、背を向けた佐祐理さんが、気遣うように優しい声を掛けてくれた。
自分の事よりも、俺の事を気遣ってくれるだなんて・・・。
「うぅ・・・うぅ・・・で、でも・・・俺・・・。」
「祐一さん気にしないで下さい。 気にされた方が、佐祐理困ってしまいます。 これは、佐祐理が勝手にした
事ですから。」
それでも、こんな失態をするだなんて、俺自身信じられなかったから。
佐祐理さんに、こんな事までさせておいて・・・俺。
「・・・で、でも。」
「祐一くん。 それ以上言うと、お姉さん怒るよ。」
佐祐理さんに強く諌められた。
でも、全然イヤじゃない。 それどころか、佐祐理さんの優しさが伝わってきた。
「それより・・・今、祐一さんがしなくちゃいけない事、判りましたか?」
「・・・はい。」
俺は大きく頷いた。
今俺に出来る事と、今俺がしなくちゃいけない事。
気がついていたくせに、気付かないフリをして、しなくちゃいけないのに、失敗を恐れて進めないでいた俺。
気付かせてくれたのは、佐祐理さん。
「では早く行った方が良いですよ。 今日と言う時間は、残り僅かですから。」
「はい。」
涙を拭いて、俺は立ち上がった。
俺はもう泣いてなんていられない、だって、泣いている娘の側にいてやらなくちゃいけないから。
「それと祐一さん。 スイマセンが、このまま・・・私が背中を向けている間に、出て行って下さいませんか?」
「え?」
脱ぎ散らかした服をかき集めた俺に、佐祐理さんはそう告げた。
「佐祐理も女の子ですから、名雪さんの元に走る祐一さんを、笑顔でお見送り出来ませんから。」
佐祐理さんの背中は、泣いているように見えた。
俺は何も言わずに頭を下げた。
佐祐理さんには、幾ら感謝してもし足りない。
「あ、それから、イヤだイヤだと言いながら、4回もしただなんて事、名雪さんには黙っておいてあげますね。」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
初めから判っていた。
俺は、今、何をしなくちゃいけないかを。
ただ、避けられるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、ちゃんと伝えられなかった。
悪いのは俺。 酔ったからって、名雪と香里を間違えるだなんて、あって良いわけがない。
伝えられない気持ちを、伝わらなかった気持ちを、伝えるまで、伝えなくっちゃいけないんだ。
それを判らせてくれたのは佐祐理さん。
佐祐理さんを抱いていた時、身体は哀しい程バカみたいに反応するくせに、頭の中は名雪でいっぱいだった。
佐祐理さんを抱いている時でさえ、名雪で俺の胸はいっぱいだった。
今、俺に必要な女性は、佐祐理さんでも香里でもない、名雪だって事を。
だから俺は走る。
名雪の待つあの場所へ。
不思議だ。
約束したわけじゃない。
それでも名雪が、そこにいると信じられる。
半年間、俺と名雪は離れ離れになって暮らしていた。
片時だって名雪を忘れた事はないし、片時だって名雪を想わなかった時はなかった。
俺達のこの半年間は、決して無駄じゃなくって、むしろ、お互いを理解するのに、大切な時間だったんだ。
だから言うんだ。
半年間の心を込めて。
”ごめんなさい” と ”愛してる” を。
俺は必死に走って、そしてドアを力いっぱい開けた。
名雪がいる事を信じて。
二人の未来のために。
カラン コロン。
「・・・名雪!」
「・・・相沢くん。」
閉店間際の閑散とした百花屋で、俺を待っていたのは、名雪では無く香里だった。
立ち上がった香里は、初め、信じられない様な物でも見るような目で見ていたが、そのうち、大粒の涙を
零しながら、俺に掛け寄り、そして抱きついた。
「・・来てくれた。 相沢くんが来てくれた。 名雪の所じゃなく、私の所へ。」
強く抱締める香里を他所に、俺は半ば放心状態だった。
どうして? え? 名雪は?
「これは賭けだったの。 今日、相沢くんが、この扉を開けなかったら、私、相沢くんを忘れるつもりだった。
でも・・・でも・・・相沢くん来てくれた。 二人の想い出の百花屋へ。」
「・・・もう、離さない。 ・・・離れない。」
俺は遠のく意識の中で、嵐の予感を感じていた。
その頃、駅前のベンチでは。
「・・・くしゅん。 祐一、遅いなぁ~。」
つづく
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あとがき
最後までお付合い下さいまして、ありがとうございます。
ばいぱぁです。
何故に佐祐理さんは出てきたのか? 佐祐理さんの出演意図は?
それは、ただ単に出したかっただけです。(笑)
ですから、佐祐理さんファンの方々申し訳有りません。
一年たって、二人とも理解しあえて、じゃ、仲直り・・・させたくないから、香里に邪魔させました。
つくづく、こういった展開好きなんだな、俺。
この続きは、また一年後です。
お楽しみにしていて下さい。