『おそば』



「テレビで紅白をボーっと眺めながら、おこたに入って美味しいお蕎麦。これぞ日本人の正しい年越しの姿よねぇ。浩之もそう思うでしょ?」

「ああ、まったくもって同感だ」

 なんとも御満悦な顔で綾香が同意を求めてきた。
 来栖川の御令嬢とは思えないほどのもの凄く庶民的な台詞だが、こいつが言うと不思議と違和感が無いのは何故だろうか。さすがはパチお嬢様といったところだな。面目躍如だ。

「……ちょっと。なんかすっごく失礼なことを考えてない?」

 ジトーッとした目で綾香が問いかけてくる。

「別に。ただ、相変わらず変なお嬢様だなぁって思っただけだ」

 キッパリと正直に答える俺。もっとも、表現は幾分かマイルドに修正して。

「そう? 変、かな? どこが?」

「いろいろと。『カップ蕎麦を持っていきなり大晦日の夜に押しかけてくるところ』とかは特に」

「あ、あはは。やっぱし変?」

「間違いなく」

 その行為はお嬢様じゃなくても変だと思うぞ。男友達ならまだしも。

「ま、そういう突拍子も無い変なところも、綾香の魅力の一つであるんだから別にいいんだけどな」

 言って、俺は目の前に置かれているカップ蕎麦に視線を落とした。現在、お湯を注がれて完成待ち。あと2分ほどお待ち下さい状態。

「しっかし、どうしてインスタントなんだ? せっかくの年越しの瞬間なのに、侘しいことこの上ないぞ」

「いいじゃない。食べたかったんだもん。こういうのって、浩之のとこじゃないと食べられないしさ」

 それはまあ、そうだろうなぁ。来栖川の屋敷ではインスタントなんて絶対に口に出来ないだろう。

「浩之だって嫌いじゃないでしょ?」

「まあ、な」

 ある意味、主食だし。自分で言っててちょっぴり悲しくなるが。

「でもさ、やっぱり、もう少しまともな物が食いたかった気がするぞ。例えば、どっかの店まで食いに行くとか、出前を取るとか」

「それはダメよ」

 再度カップに視線を注ぎつつ言った俺の言葉に、綾香が強い口調で反応を示した。

「ダメって、なんでさ?」

「そ、それは……」

 不思議顔で俺が問うと、綾香は微かに頬を染めて目を泳がせた。
 その様子に疑問を覚えつつ、再び「どうしてだ?」と目で尋ねる。すると、観念したのか、綾香は小声でボソボソと話し始めた。

「お店に行くと、他にお客さんとかいるでしょ? 当然お店の人も居るし」

「まあな」

 何を当たり前の事を、と思いつつも俺は素直に首を縦に振った。

「出前を取ると、お店の人がやって来るでしょ?」

「そりゃそうだ。来なかったら怒り心頭になるぞ」

「……だからよ」

「は?」

 綾香の言いたいことがわからずに俺は首を傾げてしまう。

「他の人がいるから……ダメなの。あたしは、浩之と二人きりが、いいの」

 耳まで真っ赤に染めて綾香が零す。

「出前を受け取る、ほんの数十秒でも……嫌なの。誰にも、邪魔されたく、ないの」

 切れぎれの綾香の言葉。それを聞いて、俺の方まで顔を染めてしまう。
 あまりにもこっぱずかしかった。と同時に、そこまで想ってくれている事が嬉しかった。

「そ、そっか。……あ、あー、そ、そういえば、年越しと言えばさ」

 俺は一つコホンと咳払いをすると、部屋を覆っている照れくさい空気を払拭しようと話題を強引に転換させる。

「お前、こんな日によく俺の所に来られたな。来栖川って、大晦日は何にもしないのか?」

 俺が問うと、綾香は軽く目を逸らせてバツが悪そうに「えへへ」と笑った。

「来栖川綾香は本日は気分が優れない為に自室にて療養いたしております。……な、なんちゃってぇ」

「……おい」

 思わず半眼になってツッコミを入れる。

「だってぇ。浩之に会いたかったんだもん」

 綾香が甘ったるい声でそう訴えきた。

「それに……めんどくさいし」

「お前、絶対にそっちの理由が主だろ?」

 言って、俺は更に目をジトッとした物に変える。

「や、やーねぇ。そんなことあるわけないでしょ。主に前者よ、前者」

 手をパタパタと振って俺の推測を否定する綾香。
 ――が、頬をツツーッと冷や汗が一筋。
 怪しい。限りなく怪しい。

「あっ。ほ、ほら、もうお蕎麦が出来てるわよ。無駄話してたらのびちゃうわ。食べましょ、食べましょ♪」

 話を誤魔化すように綾香がカップ蕎麦に手を伸ばす。
 しかし、頃合がいいのも確か。従って、つまらない追求もこれで終わり。
 別に理由なんてどっちでもいいしな。いまここに綾香がいる。誰よりも大切な女の子と時間を共有できる。その事実だけで充分だ。

「……う゛っ」

「ん? どうしたの?」

「い、いや、なんでもない」

 言えない。自分で自分の恥ずかしい台詞にダメージを受けた、だなんて。そんな事を口にしたら、絶対に「どんな事を考えたの? 教えて♪」と突っ込まれるに決まってるから。

「なによ? 気になるわねぇ」

「ホントになんでもないって。そんな事より、さっさと食おうぜ。マジでのびちまう」

 言いつつ、俺は蕎麦に七味をパッと振りかけた。

「……そうね。追求だったら後でも出来るし」

 同じく、綾香も七味を掛ける。
 つーか、後で追求するつもりかよ?
 些か気になるが、否、果てしなく気になるが……取り合えず今は捨て置く。

「なあ、綾香」

「ん?」

「お前のおかげで今年は凄く楽しい一年だった。いろいろ大変な目にも遭ったけど、それでも退屈しない良い一年だった。……それは、やっぱり綾香がいてくれたからだと思うんだ。ありがとな」

 一年の締めくくりの意味を込めて、俺は素直に綾香への謝意を口にした。
 次いで、蕎麦のカップを手に持ち、少しだけ綾香の方に差し出す。

「あたしにとっても良い一年だったわ。あなたがいてくれたから。毎日が輝いていて本当に素敵な一年だった。ありがとう、浩之」

 若干照れくさそうにしながらも、綾香が優しい微笑みを浮かべてそう返してきた。
 そして、応えるように、俺のカップに自分の器をそっと合わせた。今年最後の乾杯。

「また、来年もよろしくな」

「ええ、こちらこそ」

 遠くで除夜の鐘が鳴り響いている。
 その中で、好きな人と交わす約束。来年も共に歩むという誓い。
 それを胸に心に刻み込んだ後、満を持して喉を滑らせる今年を締める蕎麦。
 食べなれたインスタントの蕎麦が、いつもよりも美味しく感じられた。
 ちょっとだけ伸びてしまい、ちょっとだけ冷めてしまったけれど、それでもいつもより美味しく感じられた。

「来年の年越し蕎麦も、二人で一緒に食べようね」

「もちろんだ。そんなの当たり前だろ」

「うん。当たり前、だね」

 今日は、そんな12月31日。